自分にできることをやればいい
先日思いついた言葉が、
「自分にできることをやればいい」
だった。
これは仕事だけではなく、全てに言えるんじゃないか、と思っている。
例えば、親孝行でも、人助けでも、もちろん仕事でも、家庭でも。
自分にできないことはできない、と腹を括った方が、万事うまくいく気がしている。
例えば今私は文章が上手くなりたいと思って、一種のトレーニングのようにこのnoteを毎日更新しているのだけど、小説家の小説や、プロのエッセイストのエッセイを読むと、ただただすごい、としか言えず、自分との差を感じ落ち込んでいた。
でも考えてみれば、プロとアマチュアは「差があることは当たり前」だし、書いてきた量も違うだろうし、才能も違う。
さらに気づいたのは、一人一人人間は違うのだから、一人一人
「書けることが違う」のだ。
女性に男性の気持ちはわからないように、男性に女性の気持ちはわからない。
女性の気持ちを分かったように書く男性作家もいるが、それはあくまでも男性から見た女性であって、女性自身が女性であるながら見た女性ではない。
さらに女性が女性の気持ちを全てわかるか、と言われたら、女性でも一人一人違うし、いくつかのタイプにある程度は分かれるとは思うが、それでもそのタイプに属さない人たちもいる。
と言うことは、一人一人が「書けること」が違っているのだから、結局は
「自分にできることをやればいい」のだと気づいた。
また親も高齢なので、できる限りの親孝行をしたいと思うが、それはあくまでも、「自分が後悔を少しでも減らすため」のような気がしている。
親が望むことを全て本当にしてあげたら、多分自分の生活が成り立たなくなるだろう。
だからいつも自分に言い聞かせる。
親には申し訳ないが、親の意向を聞きつつ、「自分にできることをできるだけやる」と。
自分にできることをできるだけやる、と決めると、自分に過大な期待をせず、自分が自分のままで、できることを淡々とやれるので、滞っていたことがスーッと進む。
流れの悪い排水溝の掃除をしたら、スーッと水が流れていく感じだ。
自分に今できないことまで背負ってやろうとするから、苦しくなる。
苦しくなれば、全てを投げ出したくなる。
投げ出せば、それで終わりだ。
やりたくないなら、投げ出してもいいが、本当はやりたいのに、苦しくて投げ出すのとは、ちょっと違う気がしている。
私にとって大事なことは、今できることを今やること。
なぜなら、明日に生きている保証はどこににもないのだから。
(すこぶる健康体です。ご心配なく笑)