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負の空気をぶつけられた時の反応2


私は元客室乗務員で、現在接遇研修の講師をしているので、わずか2、3分で相手の態度をガラッと変えることができるらしい。

かなり前のことだが、コンビニに入ったとき、レジにいた若い女性店員は「いらっしゃいませ」も言わなかった。ペットボトルを持ってそのレジに向かうと、その店員は不機嫌そうに、一言も発さずレジ打ちをした。こちらもあまり良い気分ではなかったが、逆にこちらはすごく丁寧に、すごく明るく接したらどうなるか一種の実験をすることを思いついた。
「○○○円です」
「はい。ありがとうございます」と私がいい、まだセルフレジがなかった時代なので、現金を出す際も「こちらでお願いします」といい、お釣りをもらうと「ありがとうございます」と言った。
彼女はその間ずっと無言。愛想もない。
袋に入れてくれた(当時はまだ袋も無料だった)ので、「ああ、ありがとうございます」と彼女の目を見て笑顔で私がいうと、ここで変化が現れた。
一切今まで無言を貫き、無表情、無愛想だった彼女が、初めてぎこちなく笑おうとしながら、「ありがとうございました」と言った。
「いえ、こちらこそ」と返し、私はそのコンビニを後にした。その背中を「ありがとうございました」という少し大きめで明るい声が見送ってくれていた。
「やった」と心の中で思った。

また、以前母親の付き添いで年金事務所に行ったことがある。
予約して出かけたので、受付の中年女性がすぐに案内してくれた。
私たちに割り当てられた担当の人は、おそらく定年間近の男性。私たち二人は「よろしくお願いします」と頭を下げ挨拶をしたが、当の男性職員は座ったまま、「あ、はい」と言い、「担当します、○○です」と、首からぶら下げた名刺ホルダーの名刺を見せて言うと、「どうぞ」と座席を手で指し示した。

「父が亡くなったので、父の年金の停止と、母の年金がどの程度になるのかを知りたくて」と、事前に伝えていた内容を再度伝えた。すると、すぐに用意していたのであろう必要な資料を出し、説明を受け始めたが、この職員は大層無愛想で、声も低く、一方的な説明をする。たくさんの書類を書かないといけない母の代わりに、私が書いてもいいか、と聞くと「必要な箇所以外はいいですよ」と言ってくれたが、その言い方はぶっきらぼうで、書き終えるとすぐ次の書類を出してくる。「はい、次はここです」と、矢継ぎ早に言う。私は次から次へと書類を書き終えるたびに、「お願いします」とあくまでも丁寧に、愛想良く言っていた。無駄なおしゃべり一切ないが、説明を聞く母がそのスピードが早すぎて理解が追いつかないとき、私が「ということは、こういうことですか」と確認をすると「そうです」と答えるので、私が「これは、こういうことらしいよ」と母に伝え、まるで通訳をしているかのようだった。

書類を書き超えるたびに私は、「こちらでよろしいですか」と、丁寧に愛想良く聞き、「はい。結構です」と言われると、「お願いします」と言う、ということを繰り返していた。
その間隣のブースでは、老婦人ひとりに、とても丁寧に、時々「ああ、そうだったんですか。大変でしたね」という言葉を、笑顔で優しく声をかけながら、相手のペースに合わせてゆっくりと話をする40代くらいの男性職員の対応が聞こえていた。「職員によってこんなにも違いがあるのか」と、隣のブースを羨ましく思っていた。

かなり多くの説明と、書類書きを終えると、母に「よかったね。これで終わったよ」と私は声をかけた。そこで私たちは立ち上がり、「ありがとうございました」とほぼ同時に言ったとき、この職員が立ち上がり、「ありがとうございました」とお辞儀をしたのを見た。
今までの態度と空気が一変した気がした。
この時の様子は「負の空気をぶつけられた時の対応」という同じタイトルで書いている。

また先日、私が役所に電話をした際、電話口の中年男性であろう人は、事務的に確認事項を確認し始めた。私は、電話では一段高い声、つまりよそゆきの声で話すことが当たり前になっているので、いつも通りに明るく、丁寧な言葉使いで伝えた。「○○ですか」と言う、矢継ぎ早に聞かれることにも、一つ一つ「はい、そうです」と答え、「○○をお聞きしたいと思いまして」と自分の要望を伝える。相手が確認する間「少々お待ちください」と言われると、「はい、よろしくお願いします」と言い、「確認が取れました」と言われると「ありがとうございます」と言う。

一言で言えば相手の言葉に一つ一つ丁寧に反応をしていただけだ。それも明るく、少し高めの声で。2、3分が経過すると、それまで決して愛想は良くなく、事務的だった男性職員の声が高くなってきた。さらに、言葉遣いが丁寧になってきた。そして私が個人情報を伝えると、「ありがとうございます。確認いたしますね」と、言葉数も増えてきた。要件を終えると、後日私が持参するものを教えてくれ、「こちらで手続き完了ですが、何か他にご不明な点はございませんか」とこれもまた丁寧に聞いてくれた。
「いえ、ございません」と、明るく答えると、「○○が承りました。当日はお気をつけてお越しください」と言ってくれたので、「ありがとうございます。どうぞよろしくお願いいたします」と言って電話を切った。
「ああ、またやってしまった」と思いながら。

やってしまったというのは、悪い意味ではない。「相手の反応を変えてしまった」という意味だ。

人間関係は「写し鏡」であり、「空気は伝染する」。

こちらが丁寧に接すれば、その空気が相手に伝染し、やがて相手も丁寧に接してくれる。
その逆も然りで、相手がぶっきらぼうに接してくれば、こちらにその不機嫌さが伝わり腹が立つ人は多いだろう。帰り際に「何、あの態度」と、ぶつけることができなかった愚痴を言いながら帰っていくかもしれない。
こんな時、元客室乗務員で、現在接遇講師の私は「燃える」または「自動的に反対の行動をとる」らしい。
コンビニと年金事務所の時は意識的に、相手よりも丁寧に、相手よりも明るく、感謝の気持ちを持ちながら接した。すると相手の態度がガラッと変化したので、「やった」と内心思った。何と戦っているのかわからないが、不機嫌な人たちを機嫌よくするのを長年の生業としていた身としては、「チャレンジするべき課題が出てきた」と思うらしい。

最後の電話の際には、「ああ、仕事で疲れてる人なのかな。愛想はないよな、男性だし」と思ったが、顔が見えない電話だからこそ「よそゆき」の対応をすることが当たり前になっている、固定電話時代の私は、自分にとって普通だと思う対応をしていただけだった。無意識だったが、途中から男性の言葉遣い、声のトーンが変わり、こちらへの配慮が電話越しに伝わるようになった時、「ああ、またやってしまった」ことに気がついた。
「残りの今日のお仕事、機嫌よく頑張ってください」と思いながら。

そう、私の中にはコンビニの人にも、年金事務所の人にも、役所の人にも「人と接する仕事の大変さがわかりますよ。大変ですよね。いろんな人がいますから。ひどいことを言われることもありますよね。本当にお疲れ様です」という気持ちがどこかに潜んでいるらしい。だからこそ、せめて私くらいは愛想良く、丁寧に、相手に感謝しながら接したい気持ちがある。
それが相手に伝わって、相手もこちらに敬意を示してくれたり、優しくなったりするのを度々経験した。

「カスハラ」という言葉ができたように、(カスタマーハラスメント、すなわちお客が店員や職員に対してひどい態度で接すること)接客する人たちは毎日きっと大変な思いをしている。以前にはなかった理不尽なクレームも増えているだろう。
だが、この人たちがいなくなって全てをAIや機械で自動化することは難しいだろうし、できたとしてもかなりの時間がかかる。彼らがいることで私たちは買い物ができ、サービスを受けることができるのだから。

客だから偉い、という態度は側で見ていると、カッコ悪い。
自分が人にされて嫌なことはしない。自分が人にされて嬉しいことをする、というのを、立場がどうであれ大事にしていけば、「カスハラ」も無くなるのに、と思うが世の中そう簡単にはいかない。せめて接客する人の気持ちがわかる私は、彼らに一瞬でも「よかった、楽しかった」と思って仕事をしてほしい。

なんだか偉そうに書いてしまったが、もちろんうまくいかなったケース、つまりこちらは丁寧に接していても、相手の態度は変わらなかったこともある。

だが、全ての経験は人に想像力を与え、だからこそ思いやりを生む。
どんな経験の場合も、最後には悪いケースはよき学びとし、良いケースはさらに次の経験へと生かしていくことが、負の感情をぶつけられても自分が巻き込まれず、逆に良い空気に変えていけるのかもしれない。


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Hiromi.U
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