見出し画像

断捨離をしたくなる理由


断捨離について書くと、結構読んでくださる人が多い。
それほど、断捨離に興味関心が高いのかもしれない。

おそらく断捨離という言葉が一気に流行り始めたのは、コロナの頃だったと思う。
「ステイホーム」で家にいることを余儀なくされ、そうすると普段あまり見ることがなかった部屋の片付いていない部分が気になったり、リモートで仕事をするから家がもっと広ければな、と思ったからだろう。
あの頃、こんまりさん、こと近藤麻理恵さんの本を読んだ人も多かったのではないか、と思う。
私もその一人だった。おかげで、ゴミ袋10袋近く捨て、服は古着屋に持っていき、本はメルカリで売った。
物がずいぶん減ったな、と思っている。

断捨離の効果は、①家が広くなる②ものの管理がしやすくなる③探し物をする時間がほとんどなくなる④部屋がスッキリして、片付けやすくなる⑤ものを買わなくなる⑥お気に入りのものだけに囲まれた生活ができる

ことだと思っている。

特に⑤は効果抜群で、消耗品、食料、洗剤とかトイレットペーパーとか、以外のものをほとんど買わなくなった。それだけ、節約につながっているということだ。
だから今あるもの、すなわち、残すと決めたものを大事にする。今あるものは、「残しておきたい」と思ったものばかりだ。
つまり、お気に入り。
もし、これから何か買うとしても、妥協ではなく、本当に好きなものを買うだろう。そもそもあまりものを買っていないのだから、その分少し値段が高いものを買うこともできる。そんな気分の良い暮らしに変わったことが、断捨離の一番のメリットだったのかもしれない。

それでも、しばらく経つと断捨離をしたくなる。
一体それはどうしてなんだろう、と考えてみた。

断捨離熱が再発する時。それは「変化した時、または変化したいと思っている時」なのだと思う。
いくらお気に入りに囲まれていても、人は変化するし、ものは劣化する。
劣化したものと同じものを買おうとしたら、もうすでに廃盤になっていて同じものは手に入らない、ということもある。さらに、人は日々変化している。変化には、時代の変化に伴う変化、環境による変化、仕事などによる強制的変化、そして自らが望んだ変化などがある。

人は、生まれた時からずっと同じ、ということは無理なのだが、日々の変化が少しづつなので、なかなか自分では気づかない。だけど、どこかで気づいているからこそ、「断捨離」すなわち、不要なものにお別れし、新しいものに変えたくなるのだろう。

断捨離という行為の裏に、「自身の変化」があるのだと分かったら、「ものを捨てられない人」にとっては、朗報だ。
なぜなら、「変わろうとしている、またはすでに変化した」のだから、もうそれらは必要がないものなんですよ、と思えばいいからだ。
小さくなってしまった服を「いつか痩せるかもしれない」と思ってとっている人がいるが、もし仮に痩せても、その頃にはもうすでにその服自体が流行遅れになっている可能性はかなり高い。
それよりも、すでに変化している自分の体型と、今の自分に似合う服を選んで迎え入れた方がずっと周囲からの評価も高いだろう。

服を捨てることができないのであれば、古着屋に持っていくのも、ありだ。
とても高かったブランドものの服は、今ビンテージショップで案外良い値段で買い取ってくれるかもしれない。今時代は古着ブームだからだ。あのユニクロも古着を扱うようになるらしい。
ただ、そこまで高価でないものは、古着屋でもあまり古い服は値段がつかない。流行があるからだ。値段がつかなければ、誰かもらってくれる人を探すか、持ち帰って捨てるしかないが、その時はこんまりさんがいうように、感謝してお別れするといい。
もし、思い出として、ただ眺めていたい、と思うのであればそのまま置いておくか、写真に撮って時々見ているといいのかもしれない。

変化した自分、または変化したいと思っている自分を否定することは、自然に逆らっていることであり、さらには新しい自分がより素晴らしい自分になっていくんだ、ということを否定することになる。

変化が怖い、という気持ちはわかる。
しかし、変化したその先にもっと素晴らしい自分がいて、素晴らしい生活が待っていて、素晴らしい人生が待っていると思えたら、断捨離も進むのではないだろうか。その未来を、幾つになっても信じられるかどうか、が断捨離がうまく進む人とそうでない人の違いなのだろう。

過去と今の自分に満足している度合いが高ければ高いほど、変化を恐れる。
しかし、人が変化することは避けられないし、年を取ることも避けられない。
年をとることにネガテイブなイメージを持つ人も多いが、いいこともたくさんある。
感じ方が深いし、少々のことでは慌てなくなるし、知っていることは多いし、できることも多い。「いや、私はそんなことはない」と思った人は、多分それに気づいていないだけだ。
「自分の棚卸し」を、断捨離とともにやってみるといいのかもしれない。
自分さえ気づいていない、蓄積してきた物がきっとある。
そして、もし蓄積してきたものの中に、嫌な物があっても大丈夫。
私たちは、断捨離、という「捨てる」ことが、いつだってできるのだから。

今年も残すところ2ヶ月となった。
年末の寒くて、忙しい時期に慌てて大掃除をするより、今から1日に一つ不要なものを捨てたり、週末に1箇所だけ整理整頓をするだけで、きっと余裕のある年末を迎えることができるだろう。
(自分に言い聞かせている部分もあるのだが)

別に断捨離の先生でも何でもないのだが、断捨離熱が出てくるのは「変化のタイミング」なのだと気づいたので、書いてみた。

新しい自分に会いにいきましょ。


いいなと思ったら応援しよう!

Hiromi.U
サポートありがとうございます!いただいたサポートは、次の良い記事を書くために使わせていただきます!