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自分主体で生きる



自分主体で生きるなんて本当に当たり前だと思っていたけど、案外そうではないらしい。


・自分主体の人は、

自分が伝えたいと思ったポジテイブなことは、ストレートに伝える。

・自分主体でない人は、

伝えたいことがあっても、いろんな人のことを先に考えて、伝えないまたは
ストレートではなく、何となく「ふわり」と伝える。

もちろん周りのことをとても気遣う人なので、優しい人が多い。

それはそれで素晴らしいと思う。


・自分が主体の人は、

人からどう思われるか、をあまり気にせず、自分が良いと思ったことは発信する。
(もちろん常識の範囲で)

・自分主体でない人は、

いいね、やフォロワー数を気にして、それが多い人を尊敬する。

きっと気になるんだろうな、と思う。


SNSは毎日見ていることもあるのだけど、
感じるのは、いいね、が多い人の投稿が必ずしも全て良いわけではないということ。


そもそも「良い」というのは、
「その時の」「自分に」「刺さるかどうか」だけなので、あとは「義理」で
「いいね」を押していることも多いんじゃないか、と思っている。


それなのに、いいね、やフォロワー数を気にするのは、あまり、というかほとんど意味がない気がする。


私も含めて、私の周りにいらっしゃる方々は、
「自分と価値観の合う人だけが、自分の提供するサービスを利用していただけたら、それでいい」
というスタンスで、見ていて気持ちがいい。


つまり「コアなファン」を獲得しているので、ちゃんとビジネスとして成り立っているのだと思う。


そしてご本人たちは、ご自分が提供しているサービスの内容が好きで好きで仕方がないので、暇さえあれば、というか、いつもその内容について「勉強」(多分ご本人は勉強とは思っていない)している。

だからこそ、提供している内容もとても確実で、レベルが高い、または知識が半端ない。


どんな生き方をするのかは、もちろん本人が決めることで、どの生き方が良い、

なんてない。

ただ私はこのnoteについても、「自分の書きたことを書く」と決めているし、これはビジネスにつなげようとは思っていない(つながるかどうかもわからない)ので、どんな時でも自由に思ったことを書いている。


そう、主体的に書いているのだ。


ライターさんたちが、クライアントの方の要望に沿って書くのが得意なのだとしたら、それはクリエイターと呼ぶらしい。


一方で、自分が書きたいことを書く、描きたいものを描く人は「アーテイスト」らしい。


どちらが良いとか、優れているとかは全くないのだけど、単なるタイプの違い。


私は、自分の好きなことは(書くこと、読むこと)好きに書きたいな、と思っているので、その時自分が感じたことをこれからも書き続けるのだと思っている。


そして主体的生き方も、やっぱりやめられない。

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Hiromi  U.
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