人に裏切られないコツ
人に裏切られた、と思った経験は誰しもあると思う。
私も、当時お付き合いをしていた人だったり、友達だったり、大人になっても
仕事を一緒にしている人だったり、「え、なんでそんなことするの?」と
思ったことは、何度もある。
その傷が深い場合は、立ち直るのに時間がかかる。
3年くらい前にもこのような経験があったが、なかなか立ち直るのに時間を要した。
では、人に裏切られた、と思わなくて良い方法はないものか、と考えてみた。
それはおそらく
「人を理解できると思わないこと」
「人を理解したと思わないこと」
「人は変化するものと思うこと」
「人に期待しないこと」
なのかな、と言う結論がでた。
何とも寂しい結論だな、と思ったかもしれない。
そもそも、人を理解できると思ってはいけないのだ。
最近ハマっている脳科学の本を読んでいても、人は絶対に一定ではないらしい。
つまり、いつも言うことが変化したり、その時その時で判断が違ってくることは、普通らしい。
ということは、自分のことでさえ本当に理解しているかも怪しいのに、人のことをたかだか数回会ったくらいで、いや、何十年と知っている親でさえ、自分が知らない親の姿が見えることがあるのだから、理解できた、と思うのがそもそも間違いなのだ、と思うようにしている。
そして、「きっとあの人はいい人だから、これをやってくれるに違いない」と期待をすると、自分の期待通りに動いてくれなかっただけで、裏切られた、と思ってしまう。
だから、人よりも自分をどうにかする方が、裏切られたと思わなくて済むし、何かをお願いする時は、ダメ元でお願いするのが良いのだと思う。
では、どうやって人は付き合っていけばいいのか、についても考えてみた。
それは、「立場」と「役割」を果たすことで、人と付き合っていけばいいのだと思っている。
たとえば、私は先生と言われる立場だが、先生という立場に則って、その役割を果たしていれば、学生や生徒さんたちが、「裏切られた」と思うことはないだろう。
学生から質問をされても、答えるのが先生の役割だと思っているから、それに答えれば良いし、学生は先生に質問できる立場なのだから、どんどん質問をすればいい。
こうしてお互いの立場で相手と接し、役割を果たしていれば、お互いに裏切られたと思わずに済むのではないか。
それだけの人間関係では味気ない、という気もするが、この立場と役割で人と接しているうちに、本当に気が合う人や、一緒にいて楽しいと思える人がいたら、さらに一歩踏み込んで付き合っていけばいいのだと思う。
そして立場と役割で接している際にも、お互いへの敬意は上下関係なく持つ方がいい。
学生にも私は敬語を使うことが多いし、それは1人の人間として尊重するべきだと
思っているし、誰しも尊重されることは嬉しいはずだからだ。
おそらくこれが「マナー」の原点なのだと思っている。
人間関係の潤滑油。
それがマナーであり、相手を尊重することなのだろう。
最初からこれができていたわけではないが、私が歳を重ねれば重ねるほど、自分が年上である立場で人と接することが増え、だからこそ年代差がある場合ほど、価値観や感じ方がきっと違うと思うので、上下関係なく「尊重の接し方」をする方が間違いないと思うようになったからだ。
誰だって裏切られたくないし、人間関係のストレスは減らしたい。
だからこそ、立場を踏まえ、役割を果たし、尊重し合う接し方が大事だと思って、ただいま実践中だ。