記事を紹介していただきました
最近、「行動することが大事」というメッセージを至る所で見かける。
星読みの人や、noteの中でも、だ。
私も自分では気づかぬうちにそんなメッセージを配信していたらしく、記事にして紹介してくださった方がいた。本当にありがとうございます。
https://note.com/tai_yuka/n/n1972eef61ef3?sub_rt=share_sb
私は、このnoteで「エッセイ」を書いているつもりだ。
内容は、私が日々感じたことを書いているだけだ。「日記」のようなもの、と言ってもいいのかもしれない。
「日記なんて誰も読まないよ」という言葉を見かけることがあるが、ありがたいことに多くの人に読んでいただいていると、勝手に思っている。
そんな「日記のようなもの」のエッセイを書くときにも、気をつけている点が一つある。
それは、一人語りをしてもいいけど、「人に押し付けない」ということだ。
人に影響を与えようなんてことは、少しも思ってなくて、私だったらそんなエッセイは読みたくない。それより、勝手に書いて、勝手にメッセージを受け取りたい、と思うタイプなので、
ただただ感じたことを書いているだけなのだ。
しかし、そんな「自分中心」の記事は、ともすれば一人語りにもなってしまうので、「誰が読んでくれるんだろう」「誰が面白いと思ってくれるんだろう」と思いながら書くこともある。
あくまでも「私が」感じたことをただただ書いているので、私は頭と心の整理ができている。
それは私にとっての大きなメリットだ。
ただ書く。
それを、誰かがただ見つけて読む。ときには、それをメッセージとして受け取る。
その繰り返しを、続けているだけだ。
そんな日々の中、一つだけこのエッセイを書く意味のようなものがわかった気がした。
もしかしたら私は、「自分がモヤっと思っていることを、ずばっと言語化してくれる人」という存在なのかもしれない、と。
つまり、日頃なんとなくそう思っていたけど、明確な言葉にはできていなかったことを、「そうそうそう」と、3回くらい「そう」を言いたいくらいのエッセイを書いている人が、私なのかもしれない、と。
世の中に数多あるエッセイの一つを、これまた数多いる人の一人が見つけ、共鳴する瞬間だ。
これを一般的に「縁」と呼ぶ。
数多あるエッセイの中から、共感し、メッセージとして受け取る内容のものを見つけるというのは、偶然なんかではない。ある意味「奇跡」だ。
奇跡は予定できるものではないし、滅多に起きるものでもない。
ただ、奇跡が起きるのは、条件があるような気がする。
それは、純粋な気持ちで溢れていること。
だから、人をコントロールしようとしたり、押し付けようとすると、奇跡は起きにくい。
書きたい、と、読みたい、という、純粋な気持ちがぶつかりあった時、奇跡が起きるのではないだろうか。
だから私は、ただ書きたいことを書く。
それが、ただ読みたい人に見つけられる。
それだけのことだ。
だからこれでいい。
ただただ、書き続ける。
日々感じたことをそのままに。
それにこそ、意味があるのだと気づかせてもらった気がしている。