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大事な情報は、人から人へ伝わっていく


SNS全盛時代になっても、最も大事な情報は、人から人へと伝わる。

私がスクールを開いた当時、人の縁をたどっていろんな方々から、いろんなことを教えていただいた。あの最初の頃の「人から人への情報」を手に入れることができたから、私は27年間中、26年黒字経営ができたのかもしれない、と思っている。皆様のおかげだ。

あの当時は、ようやくパソコンが流通し始め(それでもノートパソコンが30万円くらいした時代)たばかりで、簡単に情報は手には入らなかった。
それでも、人から人をご紹介いただくためには、頭を下げただけでもダメなんだ、と言うこともこの時知った。
今までの自分を見てくれている人が、「あなたになら紹介してもいい」と思わなければ、紹介してもらうことさえできないと言うことを。
この時、普段は目には見えない「信頼」と言うものが、最も価値があるものだと知った。

会社員であれば、会社の看板を持っているから、周囲の人はその「会社」を信頼してくれる。
しかし、個人事業主となった途端、会社の看板はなく、潤沢な事業資金もなかった私には、私個人の信頼しか、持っているものはないと知った。

その信頼は客室乗務員時代、先輩方から怒られるのが怖くて、嫌で、だから、1日も早く仕事ができるようになりたいと思って、日々復習し「昨日怒られたことは、今日は怒られないようにしよう」と言う思いを持って出勤していたが、その姿をずっと見続けていた人たちがいたから、てにすることができていたのだ、とこの時知った。

見てくださっていた人たちは先輩であり、上司であり、やがてその人たちが権限を持つようになった頃、私が個人事業主となって、「ご挨拶」と言う名目で会いに行った際、お忙しいのに時間を作ってくださった。

先日も、ある方に言われた。
「こんなにお忙しい中、一度しか会ったことがない私にお時間を作っていただき、ありがとうございます」と言うと、「誰にでもじゃないのよ」と。
もちろんSNSで長年つながってきたので、リアルであったのは一度でも、お互いの近況はわかっていたが。

この言葉に痺れた。
この言葉に泣きそうになった。

誰も見てないと思っていても、誰かが見ている。
誰にも見られていないと思っていても、誰かが見ている。

もちろん自分がどう評価されているかなんて、普段は私はほとんど気にしていない。なぜなら、気にしたところで、本当のことがわかるわけでもないし、その評価を上げようと思って行動したら、きっとそのわざとらしさも、人は見ていると思うから。
ただ単に、自分が良いと思ったことを愚直に、淡々と、黙々とやり続けるだけだ、と思っている。
しかし、こんな言葉を言われた瞬間に、多少苦しいなと思っていても、サボりたいなと思っていても、自分を励ましてやってきたことのご褒美をもらえた気がするのだ。

そして、当然ながらこの人間関係の中では、どんな情報でも、中には秘密さえもオープンに教えてもらえる。
デジタル化がどんなに進んでいっても、そのデジタルを扱うのが人間である以上、明確な意思を持って人を選び、選んだ人にだけ情報を与えるのだろう。

スクール経営をしていた際、ブログやLINEで提供する情報と、目の前にいる生徒さんたちに提供する情報は、レベル3とレベル10くらいの差をつけていた。
どんな人かがわからない人に提供する情報と、信頼関係をしっかりと構築していて、その人のことをよくわかっている人に提供する情報に差をつけるのは、当たり前のことだからだ。

私自身も、無意識で信頼できる人とそうでない人を区別しているのだと思うし、誰もが実はやっていることなのだろう。
SNSの情報を完全に鵜呑みにする人は少ないように、人間のことも完全に信頼するまでには時間がかかる。

誰も見てないと思っていても、誰かが見ているし、こちらも見てないと思っていても、ちゃんと見ている。

そして、大事な情報はその「信頼関係」の中でのみ伝えられていき、「信頼関係」があるから、無闇に広がることはない。もし、それを漏らした人がいたら、構築してきた信頼関係があっという間に崩れるからだ。

情報格差、と言う言葉が言われて久しいが、本当の意味での情報格差とは、実は信頼格差なのかもしれない、と思っている。自戒の意味も込めて。


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Hiromi  U.
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