嫌なことはやらなくていい
昨日、私が母に電話で言った言葉だ。
少し様子が変だったな、と思って心配して電話をすると、
「本当はあんまりやりたくないこと」を、
「やらなきゃいけない」と勝手に考えてやっていたらしい。
当然、それは母が本当に望んだことではなく、
「義務感」でやっていたので、気分も落ち込むし、
でも焦るし、という悪いサイクルに入っていたようだ。
そこで、私は言った。
「それは、やりたいことなの?」
「ううん」
「じゃあ、やらなくていいよ。あなたの方が私よりも残された時間が少ないのに、今更やりたくないことをやるより、やりたいこと、例えば服を作るのは楽しいって言ってたよね?
その時間に当てた方がいいよ。
やりたくないことをやらなきゃいけない時代は終わったんよ。
やりたくないことをやっていたのは、そのリターンが大きい時代だったから。
サラリーマンを40年近く続ければ、多額の退職金と十分な年金が貰えたから。
でも、もう時代は変わったんよ」
というと、母は黙り込んだ。
昭和の初めの生まれの人たちには、時代が変化したことをなんとなくは感じていても、
自分の実生活にどう関わるのかは、意識することがない。
さらに母にはもうやらなくていいことをやってほしくはないし、これからは好きなこと、やりたいことに時間を使って生きていってほしい、という私の願いもあったと思う。
結局人は、自分の生き方をほとんど周囲に合わせて、
また人の言うとおりにしているのだ。
自分がどんな生き方をしたいのか、を時間をかけて考えたり、ライフスタイルや、人生の変化によって修正したりする人は少ないのだ。
言い方は悪いが、惰性で生きてしまっている。
なんともったいないことだ。
そういう私も、周囲に惑わされていたと思うし、時代に合わせていた。
でも、物心ついた時から、大学生くらいまでは私は私の好きなように生きていたのだ。
それを、回想録を書くことで気づいたので、
今その自分を取り戻そうとしているし、
実際にほぼそうなっている。
もう、嫌なことはやらないし、嫌な人とはできる限り関わらない。
そうして、自分を一番大事にして生きていくことを意識していないと、いつの間にかまた周囲に取り込まれていく。
誰にどう思われても、
誰に何を言われても、
自分は自分。
自分を大事にできるのも、幸せにできるのも、自分しかいないのだから。
母にもそうなってほしいし、そう生きてほしい。
(私が貸した瀬戸内寂聴さんの本に、そう書いてあったと母は嬉しそうに言っていたのだから、きっとわかってくれるだろう)