自由について考えてみた
自由は、呼吸と同じくらい必要な私にとって、その真逆にある義務や強要からはできる限り無縁でありたい。
義務とは、日本では憲法で定められている「納税」「教育」「勤労」三大義務があるらしい。
だが、納税以外に罰則はないので、それだけ日本は自由なのかもしれない。
実は憲法などの規定ではない「強要」の方が、もっと厄介なのかもしれない。
子供はこうあるべき
女性、男性はこうあるべき
結婚はするべき
女性は子供を産むべき(私が言ってるわけではなく、世間が、または最近では政治家が頻繁に言っている)
妻、夫はこうあるべき
母親、父親はこうあるべき
こうして並べてみると、なんとたくさんの役割があるのだろうか。
役割を引き受けるかどうかは、私たちは選べる。
ただ、「あるべき姿」を強要されるのは、たまらない。
これら「強要」は、嫌ならば聞く必要はないのだが、これに苦しむ人たちは多い。
私も、苦しんでいるとは全く気づかずに、胸を痛めていた日々を思い出すと、キューっと胸が痛くなる。
そもそも生まれた時、一般的には「元気でいてくれるだけでいい」と両親から思われて育てられている人が多い。
役割は期待されず、泣きたい時に泣き、眠りたい時に眠る、ということが許されていた時期が誰にでもある。
だが、徐々に「子供だから」とか、「女の子だから」と言われ始める。
私が5歳くらいで保育園に通っていた時、帰ってくるなり「パーン」と靴を脱ぎ捨てて大きな段差がある玄関を上がり家に入ると、母が「女の子なんだから、靴くらい揃えなさい!」と母に言われた言葉が、妙に受け入れられず、「女の子だからやらないといけないの?男の子だったらやらなくていいの?」と聞いたことがある。あのシーンは今でも鮮明に覚えているほどだ。
すると母は、ハッとした表情になり慌てて「いや、男の子でもやらないといけない。人としてやらないといけない」と言い換えた。そこで私はようやく納得して、自分が脱ぎ捨てた靴を揃え直したのだ。
今思えばあれは強要ではなく、「しつけ」だったのだと思うが、それでも納得できないものには反応をしていた自分を褒めてあげたいと思う。
それ以外にも「しつけ」をしてくれた両親には感謝をしているが、それは大人になってから、身につけておいて良かったと思うものがほとんどだからだ。しかし、しつけと強要の境界線は実に曖昧で、一つ一つを判断するのは難しい。ましてや子供にとってその判断はもっと難しい。
幸いなことに子供は知識がない分、直感が鋭いので、おかしいと思ったことはおかしいと言えたこと、それを理解してくれた親であったことは、本当に良かったな、と思っている。
さらに学校に行けば、強要の嵐となる。それに合わない子供たちは、不登校になる。
私はそれは自然なことのように思える。強要は基本的に人間、動物には合わないのだ。
以前noteに書いたことがあるが、少し前にペンギン博物館に行った。
500円か1000円くらいの入場料を払って、あらゆる種類のペンギンたちを見る。
ペンギンたちは、園が作った施設の中で自由に動き回る。飼育員が餌を持ってくれば、中には飼育員をつついてアピールするペンギンもいる。餌である魚を次々に飲み込んでいく姿や、水に飛び込みたいけどどうしようかな、と迷っている姿、そして水の中で暴れまくっているペンギンたちを、飽きもせずお金を払った人間たちが嬉しく、楽しく、幸せそうに見ている姿が印象的だった。
自由でいるペンギンたちこそが、自然な動物の姿だ。
同じ動物である人間たちは、ペンギンたちのように自由ではいられない。だからこそ、自由に動き回るペンギンたちに「憧れ」て、飽きもせず幸せそうな顔で見続けている。
時にペンギンの気持ちになって、なかなか水に飛び込まないペンギンが飛び込むと、「おー」と声をあげてその勇姿に感動したり、なかなか餌をもらえない気の弱いペンギンに「ほら、頑張って」と声をかけたり、人間とペンギンを隔てているガラスの間近までやってきたペンギンを写真に撮りまくって「かわいい、かわいい」と言っている。
私はその光景を冷静に見ていて、「ああ、人間は自由なペンギンに憧れてるんだな」とわかった。
ペンギンたちは、園内にいる限り義務はない。園から放り出されて仕舞えば、海で自分で餌を取るしかない。敵もいるだろう。仲間から引き離されていたら、生きていくのさえ難しいかもしれない。自然の中で生きていくのは、実はかなり大変なことであることは想像できる。
一方で、園にいることは彼らペンギンが自ら選択したものではないだろう。彼らは、自然から引き離されて園にいることを生涯強要されているのだ。私たちが目にしているのは、その強要の中の自由でしかない。
人間である私たちも、現在は日本という国にいる限り、ある程度の安全と生活は保証されている。ただ、冒頭に挙げた義務を守っていたら、という条件がある。それ以外にもたくさんの強要もある。それを理解した上で、その中にいるかどうかも含めて、あのペンギンたちのように自由に生きるかどうかは、本人の選択に任されている。
みんなが自由に生きたら、勝手なことばかりする人が増えて、みんなが迷惑する、という論調の人たちがいることも知っている。
でもそれは、個人個人が人や社会との繋がりの中で解決していく問題であり、他の無関係な他人がどうこういうことではない、と思っている。自分が本当に直接的に迷惑を被った場合だけ、対処すればいい。
ペンギンや動物園に行って、いいなあ、と一度でも思ったことがある人は、間違いなく自由に憧れている。その憧れを現実にするのか、憧れのままでおいておくのか。その自由だけは私たちの手の中にある。