期待と希望に胸膨らませ
2023年最後のこの日。
珍しく朝早く目が覚めた。
おそらく、2023年最後の日に感謝し、2024年を迎えるのにワクワクしているからだ。
子供の頃、お正月を迎える前の大晦日は、本当に胸がときめいていた。
今のように大型スーパーなどはなく、デパートに子供服が売っていたのかはわからないが、洋裁をしていた母が、毎年お正月用の洋服を妹とお揃いで作ってくれていたのが、本当に楽しみだった。
どんな服ができるんだろう。
私はどんな色の服なんだろう。
そんなことを想像しながら、大晦日には絶対に仕上げてくれる母の服を待ち望んでいた。
今でもその服をいくつか覚えているくらいだ。
お正月は新品の服を着て、親戚宅に行く。
従兄弟たちと会えるし、遊びに行ける。
何よりお年玉をもらえるし、そのお年玉で元旦から開いている駄菓子屋(絶対に子供たちが来るとわかっていて、開けている)に、従兄弟たちと一緒に、嬉しさのあまり前につんのめりながら走っていく。
そこでは、いつもの10円とか20円ではなく、もう少し多めのお金を使って、好きな駄菓子を買える。くじも引ける。
そんなお正月が楽しくないはずはない。
テーブルの上に並んだ大量の美味しいご馳走を、叔父や叔母達からいろんな質問を受けながらも、ひたすら食べる。そしてトランプや、人生ゲームや、いろんなことを思いついてはひたすら遊ぶ。
学校もない。
宿題もない。
やらないといけないことも全てやらなくていい日。
それが私にとってのお正月だった。
あの大晦日の胸のときめきはもう私には残っていないと、つい最近思ったばかりだった。
しかし、今朝朝早く目が覚めたことで、まだ残っていたのかもしれないと思う。
2023年を自分なりに振り返ると、前半と後半で全く様子が違う。
前半までは、今までの自分で生き、後半は今の自分で生きている。
もっと言えば、1月から4月までは古い自分、5月から世界一周を意識し始め、9月から世界一周に行き、11月に帰国。そして今に至る。
2023年の一月には、世界一周のことは全く予定になかったことを考えると、すごく不思議な気がする。
ただ、心の声に従っただけとしか言えない。
世界一周の途中で、今の仕事を年内で一旦片付けることにした。
予感はしていたが、世界を見ながら確信したのだ。
そこからが今の自分であり、自分にとっては一番しっくりきている自分になった。
2024年は、「書くことで生きる」に挑戦する年だ。
1年間できる限りのことをやってみる。
色々と自分を前面に出していこうと思っている。
全ての経験が現在につながっている。
これは誰でもそうだと思う。
「今年も一年本当にありがとうございました。
こんなに幸せな年末は記憶にないほどです。来年はさらに良い年になっていくと思います」
と、誰にともなく独り言を、起き抜けに言っていた。
私にとって今年一年は、後から振り返れば、
大きなターニングポイントの一年だったと
思うのかもしれないという予感がある。
だからこそ、感謝し、手放し、2024年を期待と希望に胸を膨らませてスタートしたい。
そしてこの気持ちが、どこか子供の頃の大晦日の気持ちと似ているような気がして仕方がない。