良い子を辞めた後
以前「良い子をやめるススメ」
という記事を書いた。
まあまあの方々に「スキ」をつけていただいた。ありがとうございます。
多分、勝手な想像だけど「良い子」でいる人が多いのではないか、と思った。
私は、この記事にも書いているように全く「良い子」ではなかった。
ただ、「処世術」は身につけて「しまった」ようで、それがだんだんと気持ち悪くなってきて、捨てたい自分が増え、今に至る。
だから今はどんどん「アウトロー」化しているのを自覚しているが、それが実は気持ちいい。
アウトローとは、「outlaw」つまり社会秩序からはみ出した者、法律のわくの外、という意味で、「道を外れた人」だという意味だと私は理解している。
別に法律違反やモラル違反はしていないけど、なんとなく堅苦しい、変なルールの社会からは早く離脱したい、と思うようになり、今がある。
法律でもないのに、誰かが言った、誰かが勝手に作ったルールから外れているというだけで、「変わった人だ」と言われるのにも、免疫があるので全く困ってはいない。
それよりも自分のこだわりや自分の美学に沿って生きていきたいし、それをお互いに認め合える人とだけ付き合っていきたいので、なんだか人生全て断捨離中、という感じだ。
そうして、残ったものだけが本当に私が欲しいものなのだろうと思っている。
人の期待に答えるのも辞めた
人に認められることをゴールにするのも辞めた
そうして、心の自由を得た。
最近、私は身内にプレゼントを良くしている。
今まで一度もしたことがなかった、妹の旦那様にもプレゼントをした。
母にももう少し親孝行をしようかと思っている。
つまり、自分のためではなく人のためにお金を使っている自分がいる。
自分でもなぜなのか不思議だったので、今朝洗い物をしながら考えてみた。
すると、次のような答えが出てきて納得した。
私がお金を使いたい部分は、旅行と一部のこだわりの品物だけ。
あとは食生活も質素でいいし、時々豪華なものは食べるかもしれないけど、手作りをすれば満足なので、こだわりはない。
大金が手に入れば欲しいものはいくつかあるが、そうでなければ他に欲しいものはあまりない。
旅行も贅沢な旅行というより、これだけの金額でこれだけの満足が得られた、というところにも旅の喜びを感じるので、(もちろんいきたいところに行き、食べたいものを食べるが)毎回スイートルームに泊まる旅を求めているわけでもない。
世界一周はやがて行く予定だが、今ではない。
そうなると少しだけ余分にあるお金は、身内にできることをしておこう、という気持ちの表れのようなのだ。
自分でもびっくりなのだけど、おそらく私自身が満たされている証だと思う。
だから今働いているのは、そのお金を得るためであり、それ以上のお金が入ってくることを拒んでいるわけではないが、それはその流れに任せるとして、自分が心地よく生きていることが大事なのだと思っている。
良い子を辞めると、幸せになる。
私は最近の自分を客観的にみていてそう思う。
周囲の期待に答えようと無理をしたり、
やりたくもないことをやったり、言ったりするのは、もういいや、って感じだ。
そして、その良い子を辞めたあと私が「なりたい人物像」を考えてみた。
すると
ユニークな人
という答えが出た。
ユニーク、つまりなかなかいない人材、希少人材だ。
自分独自のポリシーを持ち、自分独自の生き方をし、その人なりの充実した人生を送っている人。
そこに他人の価値観や、監視の目はない。
承認欲求もない。
もちろん多少は人のためにもなっているはずで、アウトローでも完全に社会から離脱をするわけでもない限り、大袈裟にいうわけではないが、人の役に立つことでお金を稼いでいるのだと思う。
お金を稼いでいなくても、家事や人のお手伝いをボランテイアでやることでも、社会にも十分役立つ。
最終的には、自分が納得している生き方ができているのか。
気にするべきは、人の目ではなく、ただそれだけなのだ。
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