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自分が幸せだったら、周りを幸せにできる
今日ふと思い浮かんだ言葉だった。
「自分が幸せだったら、それを見ている人も幸せじゃん」と。
最近「幸せだな」と思う日々が続いている。
夕日を見ても幸せだな、と思えるのだから、特別なことなんかなくても幸せなのだ。
じゃあ、今まで夕日を見ても幸せだと感じなかったのか?と言われると、その通りだ。
なぜ?
それは、心の余裕がなかったから。
だから夕日が目に入っていても、それは見ているのではなかった。
心に余裕がないほど忙しく、夕日の美しさを感じることもなく、夕日を当たり前のことだと思っていたのだ。
でも心に余裕ができると、その美しさは毎日違うことに気づき、天気によっては夕日が見れないこともあると言うことを意識する。
すると、夕日が美しいことに幸せだな、と思えるのだ。
さらに欲張りではなくなったのかもしれない。
あれも欲しい、あの人があれを持っているから私も欲しい、と思うことがなくなった。
自分が欲しいなら買えばいい。買えないなら、いつか買えばいいけど、あの人があれを持っているから、と言う理由で欲しがることがなくなれば、心は平和だ。
人と比較することをやめたのだろう。これにより、心の余裕が生まれた。
そして、幸せだと思う一番大きな理由は、自由になったのだ。
私にとっては、自由であることが幸せの一番大事なことなのだ。
まずはモノを所有することから解放された。
そして嫌な、必要ない人間関係を減らした。
残ったのは、本当にお気に入りのものと、人だ。
お気に入りではないものを、そばに置かないようにだけでも、幸せ感は上がる。
部屋を見渡しても、お気に入りばかりなら、テンションは上がる。
決して、好きなものを買い集めたのではない。
お気に入りでないものを、減らしたのだ。
そうして幸せな日々を過ごし、心の余裕がある生活をすれば、自分への労りが増え、決して無理はさせないようになった。
そして、若い人に「ようやく人生を楽しむことができるようになった。今が一番幸せだ」と言ったときに気づいたのだ。
年配の私が「今が一番幸せだ」というと、若い人たちが年齢を重ねることが楽しみになるはずだ、と。
つまり私が幸せであれば、周りにいる人もその私を見て幸せを感じてくれる。これが、無意識の幸せのお裾分けではないか、と。
自分が満たされ、幸せだと思えるように、自分の幸せに欠かせないものを知ろう。
そうすれば「幸せだ」と思う機会が増え、その幸福感が周囲を幸福にしていくという、幸福の循環になると思っている。
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