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父と私を繋げるモノ

私の番が来た。

まだ十九、ピチピチの十代であるはずなのに。大学一年生も終わりにさしかかり、都内の大学に新型コロナウィルスの影響で通えず、スタートダッシュも位置についての段階でなかなか「よーい」の声が聞こえてこない。一年間をオンラインという現代の媒体を駆使し完結させた私は何に突き動かされたのか、春休みで昼夜逆転をしふと読んでみたコンクリ山の続きを書き始めた。理由はいくつかある、順を追って説明したいが“加藤錬三郎”は今どこで何をしているのか。私の言葉を綴る中で、カトレンを探す旅に出掛けたい。

自分のメモより

と十九の私が綴ったメモが最近見つかった。

結局カトレン(父)を探す旅には出なかった、
別に旅に出なくとも知れると知ったから

私は二〇一七年に父を亡くしており、この文はその父が勤務中に書いていた「コンクリ山」(掻い摘むと介護職と人生でのアレコレ)という短編小説を読み終えてから綴ったものだと記憶されている。

そんな私も気付けば二十二の代、義務教育から数えると学生十六年目を迎えたベテランである。実は最近内定が決まったということもありこれまで考えていた人生の、またその先まで思い巡らす時間が増えた。そこで今後の私が息詰まったりしないような捌け口が欲しかったのだ。Twitterで伊藤亜和さんのnoteがバズって読んだことがきっかけで「コレだ!」という媒体を見つけた。加えて私はクサイ文章、よく言えば、、、代替する言葉が見当たらないがそういう文章を書くことが好きなので良いかと思っている。

ふと感じたことや何気ない日常、自分のこともつらつら書いてみたい
続くといいな

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