日本の歴史(古代(飛鳥時代~平安時代))

お疲れ様です。
前回に引き続き日本の歴史を追っていきます。
前回の原始時代(旧石器時代~古墳時代)をざっくりまとめると、次のような感じです。
氷河期は海面が低くて日本は大陸とひとつながりだったのが、縄文時代になると温暖化が進んで海面が高くなり(今よりも3~5mほど高く)人々は定住しながら狩猟採取の生活を送るように。やがて弥生時代になると大陸から稲作が伝わり九州~西日本を中心に広がっていき、身分の差が生じ権力者、小国が生まれ、その中でヤマト政権が勢力を拡大していく(古墳時代)といった流れでした。
今回は次の歴史・古代(大和時代~平安時代)をまとめていきます。気楽にお楽しみ下さい。

・飛鳥時代

法隆寺五重塔(「Wikipedia」より)

この時代は皇居(ヤマト政権のトップ・天皇の住居)が奈良県の飛鳥の地に置かれた為、飛鳥時代と呼ぶそうです。この時代に日本に大きな変化をもたらすのが中国から伝わった「仏教」と「律令」です。
仏教の伝来については、蘇我氏(賛成派)と物部氏(反対派)が対立し蘇我氏が勝利して仏教が根付いていきます。また、その教えは憲法十七条にも取り入れられ広がっていきました。
律令に関しては、遣隋使、遣唐使を通して中国の先進的な考えを取り入れていき日本初の律令「大宝律令」が完成しました。「律」は刑法、「令」は政治の仕組みで、現在の法令のようなものでした。この時代に国号を「日本」と称し中央集権の国家作りが進められていきました。

・奈良時代

東大寺盧舎那仏像(「Wikipedia」より)

平城京の遷都から平安京への遷都までの時代を奈良時代と呼びます。この時代の特徴は土地不足への対応と、仏教と政治が深く結びついた時代だと言えます。
土地不足に関しては、国が与えた口分田(土地)は負担が大きく逃げられる一方で人口が増えて割り当てる土地が不足するという事態で朝廷を悩ましていました。墾田永年私財法(開墾できる余裕のある人は開墾した土地を国に納めなくても良いよ)で解決を図るも貧富の差が生じ律令によって目指していた公地公民は崩れていきました。
不安定な時代が続いたため、鎮護国家(仏教の力で国を安定させよう)という考えのもと仏教と政治が深く結びついていきました。(奈良の大仏等)

・平安時代

源平合戦図屏風(「Wikipedia」より)

平安時代は政権の移り変わりが激しく、天皇から貴族、やがて武士へと変化していきます。その流れをざっくりと追いかけます。
平安時代は平安京に都が移された頃から始まります。初期には初の「征夷大将軍」(朝廷に従わない東北の勢力・蝦夷を征服する将軍)が誕生していましたが天皇の任命した軍という立ち位置でした。
天皇達が律令制の立て直しを図っている裏で、藤原氏(貴族)が権力を拡大して摂関政治が始まります。そこで都では貴族文化が花開きますが地方政治は乱れ、武士が絡んだ紛争が各地で起こるようになります。
やがて、摂関政治は無力化し、天皇の位を退いた上皇が実権を握って政治を行う「院政」が始まりました。しかし世の争いは絶えず武士達の存在が大きくなっていきます。
そのような中、源氏と平氏が力を付けて武士の主役として争い合います。最初は平氏が勝利し朝廷の最高位・太政大臣にまで上り詰めますが、その後の戦で源氏が勝利し実権を握っていき、武士の時代が花開いていきます。

・まとめ、考察

古代は日本を形作っている歴史の転換点の様に感じました。権力の移り変わりがダイナミックで、この時代の権力者の舵取りや大陸・中国とのやりとり、戦の勝敗の結果が変わっていたら全く違った方向性を歩んでいたのでは無いかと考えるとすごく面白いです。(歴史のifは考えるべきでは無いかもしれませんが、そこを考えることこそが自分達が歴史を学ぶ本当の意義があると思います。)
武士は最初は貴族等の身辺警護の「侍」(人に仕える者)という存在に過ぎなかったのがその後の歴史の主役として日本の舵取りをしていくという事が痺れますね。
次は武士たちが活躍する中世(鎌倉時代~安土桃山時代)を扱います。お楽しみに。

最後まで読んで頂きありがとうございました。以下の資料を参考にさせて頂きました↓

一度読んだら絶対に忘れない日本史の教科書
公立高校教師YouTuberが書いた · 山崎 圭一


いいなと思ったら応援しよう!