端午の節句、織部の兜
お茶の稽古に通い始めて2、3年のころ、織部焼の兜(かぶと)の蓋置が水屋に出ていました。5月5日の子どもの日が近かったのです。
季節や節句ごとにいろいろなお道具があるものだなあといそいそと織部の兜を手に取り、建水に入れて持ち出して、薄茶のお点前を進めました。あとは片付けるだけとなったとき、それは起こりました。
右手の柄杓越しに蓋置を持たせて、建水を左手に持って下がっていくときに、蓋置がするっと指先から落ちたのです。あっと思ったときには、兜は畳に転がり、かたほうの鍬形(くわがた:角の部分)が折れていました。
頭の中が真っ白になりました。先生はとがめだてするようなことはひとことも口にされませんでしたが、いつもの笑顔はなく、平身低頭、身が縮む思いでした。
「本当にすみません……弁償させてください…」
そのあとのお稽古がどうだったか、よく覚えていません。とにかく壊れた蓋置をあずからせていただき、それを買い求めたという渋谷のお道具屋さんを紹介してもらって、先生のお宅をあとにしました。
後日、その店をたずねて事情を説明し、店主に「よかったわね、あなた、同じ蓋置があるわよ」と言われたときには本当にほっとしました。
次の稽古日に新しい蓋置を先生宅へお持ちし、折れてしまったほうはお願いして譲っていただくことになりました。
▲折れた箇所は分かるでしょうか
帰宅してから、鍬形に接着剤をつけて修理したところ、ぱっと見ただけでは分からないようになり、自分への戒めのために持っておこうと思いました。
とても一件落着という気分にはなれません。道具は1つひとつの出来も異なるものですし、もしかしたら壊れてしまった蓋置に思い入れをお持ちだったなんてこともあったかもしれない。これからは本当に気を付けなくては…という気持ちでした。
「道具はしっかりと持つ」「ものを置くときは最後まで手元を見届ける」と教わっていて、分かったつもりでいたことが、身にしみた出来事です。
あのときの先生の胸中は、本当はどうだったのかなと今でもふと思うときがあります。私のために弁償させてくださったようにも感じています。
今年のニューフェイス
兜の茶碗
そして今年、我が家にやってきたのが兜のお茶碗です。金色のしっかりした鍬形を備えた兜のわきには菖蒲の花。側面にぐるりとつけられたヘラ目に勢いがあります。
武家社会のころに、菖蒲がもてはやされたのは「尚武」つまり「武を尚(たっと)ぶ」に通じたからともいわれているそうです。
兜尽くしで一服点てて、今日は菖蒲湯にします。無病息災を願って。