![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/151450807/rectangle_large_type_2_404f654a072042645cf5bcf53d08b8cc.jpeg?width=1200)
特別企画 いんくる座談会(1)
植草学園大学発達教育学部の特別支援教育コースの先生たちが座談会をしました。特別支援学校はどうなっているのか、児童や生徒は変わったのか、インクルーシブ教育とは何なのか……。熱く語り合いました。
<参加者>
・佐川桂子(発達教育学部長)
・渡邉章 (図書館長)
・髙瀬浩司(特別支援教育コース主任)
・野澤和弘(副学長)
特別支援学校の可能性と課題
少子化で子どもの数は減っている中で、小学校ではいじめや不登校が急増しています。教員採用選考の受験者は減少傾向にあり、先生が足りないという声があちこちから聞こえます。学校をめぐる状況は課題が山積しています。一方、特別支援学校に通う児童・生徒は増え続けています。それはなぜなのでしょうか。特別支援学校での勤務経験の長い先生が植草学園大学発達教育学部にいます。この国の障害児教育の歴史を振り返りながら、特別支援学校の魅力や課題について改めて考えました。
のんびりしていた昔の学校
野澤 以前の特別支援学校はどこか牧歌的な雰囲気がありました。児童や生徒の数が少なく、先生たちも自由にのんびり子どもたちと関わっている感じがしたものです。今はどこも生徒数が増えて、先生も忙しそうですね。
髙瀬 私が教員になったのは平成9年度です。初任校の千葉県立槇の実養護学校はちょっと特異な学校で、県立施設袖ヶ浦福祉センター養育園が併設されており、在籍児童・生徒の約7割程度が施設から通学してくる子どもたちでした。確かに牧歌的で、先生たちや子どもたちは、今よりももう少しゆったり、のんびりと過ごしていたのを覚えています。
![](https://assets.st-note.com/img/1724207104139-zlKufYSEmv.png?width=1200)
渡邉 どこもそうだと思います。昔の校長先生の話を聞くと、のどかな雰囲気だったとお聞きしますが、このごろは先生方がゆとりを持った気持ちでやれないような雰囲気がありますね。
髙瀬 当時の現場は、子どもたちの教育、授業準備や指導・支援に多くのウエートを割くことができました。個別の教育支援計画や個別の指導計画個別指導計画の作成などもまだない時代で、事務負担はそれほどなかったように記憶しています。子どもたちの授業準備に多くの時間をかけることができたように思います。
野澤 特別支援学校を訪ねると、児童・生徒が増えて教室が足りず、図書室や空いているスペースを利用して何とかやりくりしているのを見ます。ただ、児童・生徒の数が多くなったから先生たちが忙しくなったというだけではないようですね。先生方に課される事務負担が増えたということなのでしょうか。
佐川 養護学校が義務化されたのが昭和54年。その3年後に私は就職しました。特別支援学校(当時は養護学校)が千葉県内にたくさんできてきたころです。子どもにひたすら寄り添いながら、子どもたちが学校になじんでいくようにと考えてやっていた記憶があります。特殊教育から特別支援教育に変わったのが平成19年。その数年前ごろから特別支援学校に通う子どもの数が急速に増えてきました。特別支援教育が制度として整えられ、世の中に認められてきた歴史です。
平成11年の学習指導要領に個別の指導計画の作成が記載されました。個々に合わせたきめ細やかな教育には必要な計画ですが、先生方の負担感は増したと思います。個別の指導計画がなかったころにも、先生方は、どうしたらこの子たちの教育がうまくいくだろうかと考え、授業計画を立て、子どもたちがどのように変わっていくのかを記録し次の授業に活かせるように、と工夫していました。誰に言われるのでもなくやっていましたが、楽しかったです。今もそういう実感が持てているかが気になります。個別の指導計画を作るのが楽しいと、先生方の意識の中にストンと落ちていればいいのですが。
![](https://assets.st-note.com/img/1724213509183-kN5Jk3equU.jpg?width=1200)
特別支援学校が選ばれる時代
野澤 私の長男は千葉県立市川特別支援学校で小中高の12年間お世話になったのですが、小学部のころは児童2~3人に先生が2人付いているような手厚い配置でした。校内や校庭も広く、ゆったりした環境だったのを覚えています。長男は入学したころはとにかく落ち着きがなく、動き回っていました。それでも先生方は余裕を持って見守っていてくれたように思います。入学式の集合写真は校長先生の膝の上に載って写っています(笑)
佐川 私が若い時にいた学校の入学式でも新入生はその辺をちょこちょこ動き回っていました。特別支援学校の小学部ではそんな光景が普通でした。ところが、最近赴任した学校では小学部の入学生がちゃんと座っていて…、時代の流れを強く感じました。
髙瀬 「時代は変わったな」と思った瞬間があります。高等特別支援学校で進路指導を担当していたころのことです。当校では、次年度の入学希望者全員が入校前の教育相談を受けるのですが、中学校までは特別支援学級や通常の学級に在籍していた生徒もいます。「本校以外の他の進路先はどこの学校を検討していますか?」と聞くと、地域の高等学校が第二志望、あるいは定時制高校に行きますと答える生徒が出てくるようになりました。特別支援学校が第一志望で、普通科の高等学校が第二志望なのです。時代は変わった、特別支援学校がここまで理解され、認知されてきたのかと思いました。平成24~25年頃のことです。
親御さんとも面談するのですが、普通科高校で専門的な教育を受けずに就職する際に困るよりも、特別支援学校で3年間、卒業後の就職や自立に向けた力を付けさせたいとおっしゃるのです。特別支援学校が選ばれる時代になってきたのだと思いました。
野澤 県立普通科高校で聞いた話です。高等特別支援学校を受験して落ちた子が何人もいて、知的障害や発達障害があって障害者手帳を持っている生徒や外国籍の子もいるというのです。
かつては校内暴力などもあって荒れていたことで知られた学校ですが、今の生徒たちはおとなしい、というか生きるために必要なエネルギーが乏しいような感じがするというのです。1年生は160人くらい入ってくるが、2年生になると80人くらいに減り、3年生は40人、就職する子は20人くらいしかいないそうです。授業に付いて来ることができなくて中退(進路変更)していく。学校をやめた子たちがどこで何をしているのか気になります。「8050」(80代の親が50代の子どもと孤立しながら暮らしているという社会問題)の予備軍なのかと思うと不安になります。
それよりも特別支援学校で3年間手厚い教育を受けたいと思う生徒や保護者が増えるのはわかります。高等特別支援学校では一般就労に向けた取り組みが充実しており、就職率も高いですからね。
![](https://assets.st-note.com/img/1724207348675-ubl7ak959P.jpg?width=1200)
佐川 小学部でも同じです。最初から小学校ではなく特別支援学校を選ぶ子が増えています。以前は、小学校に入れてもらえないから泣く泣く特別支援学校へ、後ろ指をさされているような思いでいるご家庭もありましたが、次第に、小学校がいいか特別支援学校がいいか、その子を中心に考えられるようになってきました。逆に、この子の場合は小学校の方がいいのでは……と思うようなケースもありますが…。その子にとって最適な学びの場がどこなのか、という視点で学校を選択できる時代になりました。
野澤 特別支援学校のネガティブなイメージがなくなり、子どもを中心に考えて学校を選べるようになったというのは良いことですね。植草学園大学では3年生から小学校と特別支援学校の実習がありますが、実習を経験して先生になりたいという意欲が高まる学生が多いように思います。実習先でも先生方に温かく迎えられ、子どもたちと触れ合う中で学生が変わっていくのを見るのはうれしいですね。 つづく
植草学園大学・短大 特別支援教育研究センター
障害者支援を学ぶことは、すべての支援の本質を学ぶことです。千葉市若葉区小倉町にキャンパスをもつ植草学園大学・植草学園短期大学は、一人ひとりの人間性を大切にした教育を通じて、自立心と思いやりの心を育むことにより,誰をも優しく包み込む共生社会を実現する拠点となることを学園のビジョンとしています。特別支援教育研究センターは、そのビジョンを推進するため、平成26年度に創設され、「発達障害に関する教職員育成プログラム開発事業」(文部科学省)の指定を受けるなど、様々な事業を重ねてきています。現在も公開講座を含む研修会やニュースレターの発行なども行っています。
tokushiken@uekusa.ac.jp