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【希望格差社会(山口昌弘)】うえこーの書評#72
この本は単行本では2004年に刊行された。当時でも格差の拡大は問題視されていたようだが、2021年現在、その格差は是正されているどころがより拡大しているように感じる。
社会科学の従来の考え方では、社会が発展・進歩すると、社会はより安全になり、予測可能、かつ、制御可能になるという議論が中心だった。(...)
しかし、近年、社会科学の分野では、近代社会が発展し、ある段階を過ぎると、かえって、社会の不安定さが増すという議論が盛んになっている。そして、一九九〇年ごろを境として、近代社会は、新しい局面に突入したとみる論者が増えている。(p.29)
著者によれば、1990年代が大きな転換点であったらしい。その時代はちょうどITなどのニューエコノミーが台頭してきたころだ。
確かに、昔も危険は存在したが、「リスク」はどこにでも存在したわけではない。経済の高度成長期から一九九〇年頃までは、大きなリスクを避ける道が、「あらゆる人に対して」開かれていたのである。
しかし、現在は、リスクをとることを強要させられる社会である。これは、いままで安全であると思われていた選択肢にも、リスクが伴うようになることによって生じたものである。(p.50)
昔は「リスク」を取らないという選択もできたが、現在「リスク」を取らない生き方が不可能になっている。
正社員とフリーターでは、単なる収入格差以外に、将来の生活の見通しにおける「確実さ」に格差がでてくる。さらに、そうした差のある両者の間には、仕事や人生に対する意欲の有無など「社会意識」の差、つまり、心理的格差が現れる。これが希望格差である。現代の人間にとっては、この希望格差が、実は最も重要なのだ。(p.67)
リスク化と二極化は、相乗効果を及ぼしながら、「社会的弱者」を作り出していく。そして、リスク化し二極化している現代社会の弱者は、連帯という道も、集合的な反抗という道も閉ざされている。リスク化と二極化が不可避であるならば、この社会的弱者への社会的対応が必要になってくるのは、それゆえである。(p.86)
受験競争による選別、そして選別によって就ける職業が違ってくることが「悪者」のように語られることが多い。(...)客観的に眺めてみれば、受験競争は、青少年を職業にリスクなく振り分けるための極めて優れた制度である。優れた制度だからこそ、悪評や度重なる教育改悪にもかかわらず、現在でも続いているのだ。(...)青少年は、学校システム、そして、受験の中で、過大な希望を「あきらめ」させられ、結果的に自分の能力に見合った職業に就くよう振り分けられる。(p.105)
私も受験競争には反対の立場だったが、職業分配という観点からは考えてみたことがなかった。
経済的に不安定な若者が大量に出現し、生活自体がなりたたなくなる危険と隣り合わせている。そして、ホームレスに転落する若者も増大している。
しかし、現代日本社会では、欧米とは異なって、いまだ大問題とは考えられてはいない。なぜなら、若者がホームレスに転落せず、夢を見ていられる三つの条件、①親に生活を支えてもらう、②アルバイトには困らない、③家族責任から免れている、があるからである。(.p.146)
教育は、子ども(とその親)にとっては、何より「階層上昇(もしくは維持)の手段」であり、社会にとっては「職業配分の道具」なのである。この二つの機能が危機に瀕していることが、現在の教育問題の根幹にある。(p.185)
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