悪いことをしたら謝る。よりもっと大事だと思うこと。
お疲れ様です!
オーストラリアで保育士をしているぴぃと申します!
先日公開した記事
子どもに寄り添いすぎない保育
を書いているなかで膨らませたいトピックが出てきたので、今回はそちらを記事にすることにしました。
子育て中の親御さん、保育士さん、先生の中にはお子さまがいわゆる悪いこと(人のものを取ってしまう、叩いてしまうなど)を誰かに対してしてしまった時に、どのような声掛けをしたらいいかと悩んだことがある方が多いのではないでしょうか?
私もその1人でした。
そしてそんな時の指導として日本でもこちらでもよく見る
何より先に
「謝りなさい!!!」(Say sorry!!)
に、とても疑問を持っていました。
確かに悪いことをしたら謝る。というのは当然のことだとは思います。
しかしながら謝る。という行為は大人でも子どもでも責任を伴う行為だと思います。なぜ謝っているのか、何に対して謝っているのか、何故悪かったのか、何故同じことを繰り返してはいけないのかを理解しないままただ言葉だけのsorry、もしくは理解はしても本人が納得せずに発するそれに果たして意味はあるのでしょうか?
謝罪会見でもよく、こんな会見ならしない方がよかった。と言われるものがありますよね。謝罪のはずなのに何が悪かったのか分かっていない。何に対して謝っているのかわからない。本人が納得していないのがバレバレetc
シンプルに謝るという行為も同じだと私は思っています。
だから子どもに指導をする際状況の整理も手伝わずにまず謝罪の言葉だけを言うよう促す。という指導に意味をあまり感じなかったのです。
そういったことが起こったら状況や年齢にもよりますが、私はまず、介入が本当に必要なのかを観察します。時には助けを求めてきた子どもに対して「これはあなたたちの問題だからお互いこうやって話し合ってごらん。それでも上手くいかなかったら手伝うから教えてね。」とある意味突き放すことすらあります。
教育者としての責任放棄じゃないか!!と言う声がきこえてきそうですが、結構これで子どもたちで解決してしまうこともあります。
介入が必要と判断した場合はまず、関係者(という呼び方でよいでしょうか?)を集め、全てを見ていたとしても敢えて何があったのかをそれぞれの目線から聞きだします。
例え叩いてしまった、ものを取ってしまったなど明らかに片方が悪いとしてもすぐに叱るのではなく何故そうしてしまったのかを聞き取ります。(当然ですが片方が怪我をしてしまったなど手当が必要な場合はそちらを優先します。)
これには理由が2つあります。
まずひとつ、
これをするといわゆる被害者側の子どもにも落ち着く時間をあたえられます。理由によってはより怒らせてしまうこともありますが汗
何故叩いてしまっしまったかの理由を聞くことで叩いたから悪いというだけでは無い、多面的な視点を得るチャンスにもなるように思います。大袈裟に言うと相手の気持ちを慮る想像力を育てる。とでも言いましょうか・・・今のインターネット社会にとても必要な力ですね。
話がそれる前に・・・
2つ目の理由は
悪いことをしてしまった子どもにも状況、そして自分の気持ちを整理して欲しい。という思いがあります。ただそのおもちゃが欲しかった。というシンプルな理由の時もあれば、おもちゃを取ったり叩くことの理由がそのお友達と遊びたくて注意を引きたかった。なんて子もいます。
中には自分でも理由が分からないのにその行動を取ってしまったという子も少なくありません。
そんな時には一緒に、その理由を探すお手伝いをしてあげます。
そこまでしたうえでやっと、じゃあ、さっきしたことはどう思う?よかった?悪かった?本当はどうしたら良かったかな?という声掛けをします。
悪かったと思うのであればなぜ悪かったと思うのかを聞き出し、謝りたいと本人が言うのであれば謝ってもらいます。
悪かったのは理解していても感情の整理がつかず、まだ謝りたくない。という子もいます。その時は改めて相手に、まだ謝る準備が出来ないみたいだから待ってあげられる?と聞きに行きます。そうなるとだいたい相手も納得してくれることが多いです。
時にはそれでも自分がしたことは正しかった。と言い張る子ももちろんいます。もちろんここまで来るとケースバイケースですが、正しいというその子の意見は否定せずに、「どんなに正しくても先生はお友達を傷つける様なことはして欲しくないよ。」と、あくまで私の意見としての声掛けをしたりします。
偉くまどろっこしく、偉く時間がかかりますね。
先程お伝えした、助けを求めて来た子供を敢えて助けないこともそうですが、教育者の一番の役目は、将来教育者や保護者がそばにいられなくても生きていく、社会に対応していく力を育てることだと思っています。
ものの取り合い・・・は中々ないかもしれないですが、例えば思春期にどうしても親御さんに辛く当たってしまい、そんな自分が嫌になったことはないでしょうか?
30を超えた私でも楽しく仲良く時を過ごしたい相手であるはずのパートナーに、ふとした事で思っていないような事を言って傷つけてしまったり、ケンカを始めてしまうことが日常茶飯事です。
そんな時に助けてくれる先生はもちろんもう居ません。
私が慌ただしい保育時間の中もこの指導を大切にするのは、彼らが育った時に、なぜ自分はこうしてしまうのか、本当はどうしたいのかという感情と状況の整理を自分でするプロセスの基盤みたいなものを作ってあげたいなって思うからなのです。
まぁ結局答えなんてでないことも多いですけどね・・・大人になると特に。でも整理するプロセスがとっても大切なことに変わりはありません。
当然毎回この工程に子どもたちが付き合ってくれる訳もなく、途中で逃げてしまう時もあれば、感情が治まらず拉致があかない時もあります。どちらの立場であれ最初から話し合いが出来る子の方が少ないです。大人の事情で物理的に時間がないこともあります。
それでもできる限り、何回でも、同じ話し合いを地道に、繰り返し行うことで子ども達の反応は変わってきますし、気づくと介入しなくても子どもたちで勝手にルールを作ったり話し合って解決しているのを見ることが増えてきます。
長くなってしまいますが、私がした経験で1つお話したいものがあります。
とある金曜の午後、1人の男の子の子が仲良しの女の子に意地悪をしてしまいました。(昔の事で詳細は覚えておらず・・・)
前述のプロセスをふんだ所、男の子はまだ謝りたくない。そして女の子はそれに納得してくれたちょうどその時にお母さんが迎えに来ました。
空気を察したお母さん。私が簡単に経緯を説明すると、謝りなさい!と子どもに伝えました。彼女は私の友人でもあるとっても真っ直ぐな日本人女性。
子どもはすぐ忘れてしまうし、悪いことをしたら謝るのが当然。と言う理由で、もちろんそれはごもっとも中のごもっとも。
その意見は当然尊重されるべきですし、保育士は基本的に家庭の教育方針に口を出すべきではないと考えているのであとはお母さんに委ねましたが、やはり彼はその日に謝ることが出来ませんでした。
彼女の言う子どもはすぐに忘れてしまう。というのも結構本当の事で、週末を挟むこともあり私も正直その出来事はそこで終わると思っていました。
ところが、
次の月曜日彼に会うと開口一番に私にこう言って来ました。
「今から謝ってくるね!」
この言葉には正直驚きました。当時4歳だった彼が週末しっかりとこの出来事を考えて、謝るという結論をつけてくれていたようなのです。
謝られた女の子は何が起きたかを忘れていた様子で初めはキョトンとしていましたが、すぐに何かを察したのか、ニコッと笑顔で”It’s okay”と返し、仲良く遊び始めました。
さらにこのお話は続きます。
それから何週間か後に、彼が私に1冊の絵本を読んで欲しい。と持ってきました。私はその本の内容を知らず、恐らく彼も知らず表紙の絵を見て持ってきたのだと思うのですが、その内容がなんと偶然にも数週間まえに、彼と女の子に起こった事をそのまま描いた様なお話しで、最後に男の子が女の子に謝るというものだったのです。
読み終えた瞬間私は「そういえばこんなことあったね・・・」とか教育的リマインドをすべきかしら?いや、さすがになんだか押し付けがましいし、結構前の話だしいくらなんでもしつこいか・・・
と、無言で考えを巡らせていると、これまたしばし無言で何かを考えていた様子の彼の方から
「これって、僕が○○(女の子の名前)に謝った時と似てるね」
と、私の目をしっかり見て言って来たのです。
2度目の衝撃。
何週間も前のあの日常の一コマ、しっかり覚えてたのね!!
この出来事があってから私は、やはり時間をかけて一つ一つの出来事に丁寧に対応していくことは大事だし、どんな日常の瞬間が子どもたちの心に深く残るかは分からないから、一瞬ごとを大切にしなければならないな。と、考えるようになりました。
保育士、教育者の意見、対応が一人一人違うのは当然で、素敵なことだと思います。
今回は私ぴぃの対応をご紹介致しました。
かなり長くなってしまいましたが、お時間頂きありがとうございました!!
文責:ぴぃ