刈払機取扱作業者、運命の岐路
私はお寺のおばちゃんである。
そして、夫である副住職は兼業僧侶のため平日は勤めに出ていて、住職夫妻は後期高齢者である。
お寺の敷地には芝生の部分があり、自宅の裏は草の生えてくる空き地があり、お寺や自宅から少し離れた場所には住職の土地としての田んぼがある。
つまり、春から秋にかけて、日々草に悩まされる環境なのだ。
ただのお寺のおばちゃんである私は夫のおすすめに従い、刈払機取扱作業者の安全講習を受けた。
朝早くからの講習のために早くに家事を済ませ、子どもたちと自分の弁当を作り、慣れない座学を受け、実技の指導も受けた。
どうしても興味を持てず眠気を振り払えなかった研ぎの角度などの項目が全く理解できなかったことを思えば、学生時代からの数学や理科への苦手意識が今もあるのだなと苦い気持ちになるけれど、刈払機の歯は買い替えで何とかしようと心に決めた。
そんな安全管理意識ではあるけれど、最終テストにもどうにか合格し、晴れて刈払機取扱作業者になった。
最近よく聞く「リスキリング」「学び直し」というよりは、必要に駆られてに近い気もするが、頭が鈍り気味な40代のお寺のおばちゃんにしては、「久しぶりに学んだぞ!!」という気持ちが強くて、なんだか前向きな気持ちになれたのがよかったなと思う。
そして今、草刈りをしながら思うのである。
お寺で草刈りをしているのは、國學院大學さんのお陰でもあるんだな。
司書を目指した大学受験の時に、当時通える範囲の学校で受験科目の少ないのが國學院大學と大正大学であった。
あの時、先に合格通知が届いた大正大学の関係で出会った夫と結婚しての今があるわけで。
もしかしたら神学の関係者と人生をともにして、玉砂利に除草剤を撒いている未来があったかもしれないのだなと密かに思うのである。
でも、そんな妄想家族にはナイショよ。
もし、サポートなんてスペシャルな事があったらどうしよう! 写経用紙買って写経して、あなたに幸せがあるように書いて、そして手を合わせようかしら☺