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「諦める」の語源は「明らかにする」
皆さんは「諦める」というワードにネガティブな印象を持ってないだろうか。
スポーツで負けるとき。
受験や勉強がうまくいかないとき。
ガマンできずにオシッコもらしちゃったとき。
人は「諦める」というワードを「失敗」「失望」というシチュエーションと紐づけ、肩をさすりモザイクをかけたがる。
5歳のときオシッコがガマンできなかった僕も、幼心ながらに膀胱の容量不足に「あきらめよう…」と絶望したのだ。
そんな「諦める」を少なからず体験してきた僕だが、
短編映画「踊り場にて」を見てそのネガティブな価値観が薄まったように思う。
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「諦める」がキーワードの映画「踊り場にて」。
見たことはあるだろうか。
簡単に言うとストーリーはこんな感じ。
主演の瀧本美織さんはプロバレリーナを諦めて高校教員に復帰した人。
教員に夢もない。
しかし生徒と対話しながら心境が変化してくる。
進路に自信がない女子バレーボール部キャプテン。
音楽が好きなのに軽音楽部に入部できないでいる男子。
好きな人に7回も振られたのに諦められないでいる女子。
「諦めること」について生徒から学び、生徒に教えて成長していく物語。
詳細については見た方がおもしろいから説明を省くが、物語の中でタイトルにあった話が出てくる。
「諦める」は元来、「明らかにする」ということ。
つまり本来ネガティブな意味はなく、叶わないから次にいくというだけ。
そして諦めても自分にはある”特権”が残る。
それは「夢を追いかけた事実」
次に挑戦しようと思ったとき、過去の自分が少しだけ肩を抱いてくれる。
力強く支えてくれるかは分からない。
でも過去の自分が隣にいてくれる。
だから、叶わないと明らかになったら次にいっても良いという話だ。
「夢は叶う!!!」
そんな熱血スポコン大航海ジャンプ漫画みたいなことを言う物語ではない。
でもそこに無責任さがなく、現実と夢の間を埋めるグラデーションを持った物語だと思った。
何が言いたいかというと、オススメということだ。
5歳のころ、正座したままプラモデルを組み立てていた僕。
「オシッコに行きたい」と思ったときには足が痺れて動けなかった。
どうしようもなく動けず、5メートル先のトイレを目前にして
「おかあさあああん」
という断末魔とともに文化的な排尿を諦めたのだ。
この方法はだめだと明らかにできたおかげで、今の僕はお漏らしせずに過ごせている。
「諦める」は未来へのステップなのだ。
つづく。