ダブル受験を終えて
今回で3回目となりましたスペースですが、今日は我が家のダブル受験のエピソードをご紹介したいと思います。
と申しましても、フォロワーさんの皆さまも同業者の方が多数おられますので、受験生の事については良くご存知と思いますし、ダブル受験を経てこられた受験アカウント様も多数おられることと思います。
ただ、これが自分の子どもとなると、勝手が違うと思っていらっしゃるのではないでしょうか?
今日は皆さんよりほんの少しだけ歩みを進ませている私から、これまでの我が家のエピソードをご紹介します。
3歳違いの宿命
私の子どもたちは3歳違いです。上は男子音大生で3年、声楽を専攻しています。下は高3のバレエ大好き女子高生、現在国内音大のバレエ科への入学を目指してレッスンと勉強の両立を頑張っています。
3歳違いの子どもたちの宿命、それは、すべて節目の行事が被ることです。入学式、卒業式、そして今日のテーマのダブル受験。
これは我が家も避けて通ることが出来ませんでした。
我が家の場合、頼ろうにも近くにいる祖父母は高齢かつ持病持ちでしたし、何より祖父も聴覚障害を持ち自家用車を持っていなかったため、今良くみられる祖父母へ送迎依頼などできませんでした。
ですから、子どもたちのスケジュールに合わせて私たち夫婦もスケジュールを調整していきました。
スケジュール管理の苦手な私にはこれが想像以上に大変です。
自分の仕事のスケジュール管理でさえたまにやらかしてしまうのに
これに子どもたちの学校スケジュールやら、習い事のスケジュールやらを2人分とかもうわけが分からない状態で、学校への提出の手紙類も多数締め切り破りばかりです。
が、受験の場合は、期日の延長などありません。手続き不備で受験できなかった、入学できなかった、というツイートも例年少なからず目にします。
というわけで、ダブル受験を制するのは
とにかく、スケジュール管理 に尽きます。
まずはスケジュール管理
スケジュール管理の苦手な私がまず最初にしたことは、子どもたちが2人とも中学卒業するまでは仕事をセーブしたことです。
子どもたちが小4、小1の頃、また中学1、小4の頃の2回、私にはとある私学高校への再就職のチャンスがありました。が、2回とも子どもたちと話し合う機会を設けて、2人とも習い事を続けたいという気持ちを確認したので断りました。というのも私学高校へ転職すればその当時より収入は増えるものの、家族と過ごす時間が犠牲になるということは経験上知っていたからです。
仕事は自分で自由にシフトができる、家庭教師を1日1件から2件くらいのペースで習い事のレッスン費を捻出していきました。
下の子どもが中学に上がり、いよいよ自分で公共機関を使って移動できるようになり、
仕事を増やし始めました。
そこで活躍したのはスケジュール手帳です
2人の年間スケジュールを手帳に書き出していました。
しかしながら、年齢とともに自分のスケジュール手帳の管理だけでは回せなくなっていきます。
そこで次に活躍したのは書き込みスペースがあるカレンダーです。
子どものイベント用、旦那のスケジュール用と2つ用意し、リビングの目立つところに貼っていました。
子どもたちが高校、中学に上がる頃には各々がスケジュール管理できるよう、徐々に自立を促していきました。一般論ですが、男の子のほうは自立まで時間がかかるように思います。
さて、いよいよ子どもたちが自分たちでスケジュール管理をできるようになり、それぞれ大学、高校受験を迎えようとしていた時、私は意を決して独立開業しました。
それからおかげさまで教室の在籍数は当初の3倍になり、いよいよ頭の中で情報処理しきれなくなりました。
そこで、自分のスケジュール兼教室指導予定表を作成するようになりました。
主要なイベントはカレンダーに書き込み、それを元に教室スケジュール作成をしていました。
このスケジュール表は自分でエクセルで作成したカレンダー式の簡単な表ですが、スケジュールをイメージしやすいので、視覚優位の私には最適です。作成をするようになってから、だいぶやらかすことは減りました。
というわけで、まずはスケジュール管理は受験を制す、第一歩です。
子どもたちとの距離のとり方
私は子どもたちが高校上がるまでは、割と勉強しろとうるさく言うほうでした。
2人とも勉強は好きなほうではなかったので、黙っていたら何もやらない子たちでした。
ですから、親の目の届くように、個室ではなく、居間で勉強するようにしていました。
それでも、今日はこれをしてとか、あの課題をしなさいと言うことは、あまりなかったですし、ましてや子どものためにオリジナルプリントとかを作ったり、やらなければならないテキストをセットしたりするようなことは、小学校2年くらいまででした。
息子に限っていえば、プリント類のファイリングは5年生まで手伝っていましたが、6年からは自力でやれるように促しました←できたとは言っていない。
これは私の教育方針の 自学力の育成 に関係します。必要以上の介入をすることによって、受動的な学習態度にならないようにするためでした。
下の子が高校に上がってからは、コロナ禍もあり自室勉強が主になりました。
正直言って、勉強しているとは思っていません。ですが、それでも必要以上にとやかく勉強しなさいとは言わないようにしています。
それは何故かと申しますと、
息子に言われた言葉がきっかけです。
息子は中1頃から激しい反抗期を迎えました。
まあ、ゲーム三昧ですね、
暇さえあればオンラインゲームしていました。
あまりにもゲーム三昧、ピアノも練習しないので、ついには制限していた部活を解禁しました。
え?部活解禁?禁止じゃなくて?
今思えば、中学受験に成功して、これは上手く上位に食い込めれば難関大学も夢ではない?と私が思い上がっていたんですね。
小学校では金管部でしたし、音楽が好きで、ピアノも辞めずにいましたが、勉強を優先させようということで本来やりたかったであろう、オーケストラ部は入部させなかったのです。
このままでは、勉強も、音楽もダメになってしまう、そう考えて、私は彼の音楽の才能だけは潰したくないと思い、オーケストラ部の入部を許可しました。
それからは、顧問の先生からの影響もあり、音楽への情熱も高まってきました。そして修学旅行で観た「レ・ミゼラブル」は彼の運命を決定づけました。
息子の子育てを語れば一冊本が書けるくらいのエピソードがありますが、特に高2の時期、音楽への進路に理解いただけない担任や学年主任とうまくいかず、再び情緒面が不安定になり、勉強もおろそかになっていった期間は正直言ってきつかったです。再び彼を監視するような日々になってしまいました。
そんなある日のこと、
いつものようにガミガミ説教モードで、教室生と一緒に勉強するように話し始めた時、
こういわれました。
母さんにとっては
ここは家で教室かもしれないし
母さんは公私すぐに切り替えられるのかもしれない、
でも俺にとってここは家だし、母さんはいくら憎くても母さんで、先生ではないんだ。
だから家ではゆっくりくつろぎたいんだ。
この言葉を聞いて、私は何か大事なことに気が付かなかった自分を反省しました。
そう、家は本来親子で楽しく寛げる場所でなければならないのです。
それを私は自分の体裁のために、子どもに模範生として立ち振る舞うことを押し付けし過ぎてきたんじゃないか、
そう反省し、それ以来、自室での勉強を許可し、ガミガミいうことを辞めました。
これを機に
思春期の生徒さんにも、ガミガミ説教することもなくなりました。
嵐は去るまで待つしかないということ
そして
その嵐を鎮めるためには、
自分の気持ちを素直に表出できるような親の気持ちの懐の広さがあるかないか
で、
子どもの気持ちも変わってくるような気がしています。
ですから、皆様には適時、親子分離、そして1人でリラックスして勉強できる環境作りをしてあげるようにお願いします。しかし1人ずつの個室を持てない環境のお子さんも多数いらっしゃると思います。
その時には、是非、学校や公共施設の図書館、あるいは塾などの自習スペースなど、落ち着いて学習できるスペースを利用させてみては?と思います。
※スペースタイムで話した内容はここまで
その後、高3の時のクラス担任は、非常に息子の特異な才覚を認め、いつも褒めてくださいました。音楽への進路にも御理解くださり、精神的にも安定し、その後無事に音大への進学を果たすことができました。
今その先生は娘の学年主任となり、再び全面理解してくださっていることに、不思議なご縁に恵まれたものだと感謝する毎日です。
以下本題。
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兄弟姉妹間の否定的比較はNG
ダブル受験において最も気を付けなければならないことは、何と言っても兄弟間の否定的比較を避けるということです。
いうまでもありませんが、同じ親から生まれた兄弟姉妹とはいえ、同じ人間はこの世に1人としておりません。
我が家の場合は、兄、妹の男女だったこともあり、早くから1人1人の個性の違いに気がつきました。
2人ともに同じ習い事をしても同じようには進まないし、同じような結果にもならないということを早くから意識することで、それぞれの個に応じた対応ができたと思っています。
息子は予定日より2週間早く生まれましたが、飲みすぎたミルクを吐いては、またすぐに飲み直すというようにせっかちでおおらかな面もある一方、ちょっとした変化にすぐに気がつくような非常に繊細な面もあり、物事を客観的に見通す力があるので、表現者として声楽が1番あっていたのかもしれません。
また娘は予定日より2週間遅れで、生まれてくる時から慎重な子でした。内弁慶な性格ながら、幼稚園ではジャングルジムのてっぺんではしゃいだり、かけっこの好きな子どもでしたので、興味がピアノからバレエと変わったのもまた自然でした。
我が家では、それぞれの性格に合わせて、幼稚園も違う幼稚園に入園しました。
息子は、じっとしているのが苦手な反面、1人黙々と積み木やブロック遊びが、好きでしたので、モンテッソーリを導入していた幼稚園に入園しました。
歳上のお兄さんクラスと一緒の縦割りクラスでのびのびマイペースに過ごし、個性を大事に伸ばして頂けました。
娘はとにかく活動的な反面、少し臆病で人と違うことをすることに戸惑いを覚えるタイプだったので、伝統的なカトリック系幼稚園に入園しました。
それぞれの性格、個性にあっていたようで、それぞれ3年半の入園期間で随分成長しました。
小学校からはともに、地元の公立小学校に入学し、その後先に兄が受験した国立中に妹も受験合格、さらに兄が受験した県立高校に妹も受験合格、と3年毎にダブル受験がありました。
ここまで違う性格の2人が、中、高と同じ学校、同じような道筋を歩めたのはある意味奇跡的なことでした。
これが、違う学校への進学となっていたら、兄弟間の緊張ももっと厳しい状況になっていたかも知れません。
学校の偏差値や成績の優劣で、親、周囲、そして自分自身により嫌という程比較されてしまうからです。
高校から大学へは、
息子はピアノから声楽へ
娘はピアノからバレエへ
それぞれピアノで養ってきたリズム感を活した道へと進路が別れました。
また、その後も違う世界ではありますが、息子も娘もそれぞれ表現者としてのみならず指導者の道を模索しているのは、ずっとそのような仕事をしてきた身としては非常に嬉しいことだと思っています。
兄弟間で同じ習い事をさせる場合、勝敗や順位など、比較対象にされやすいことが数多くありますので、違う習い事を勧めてみることをお薦めします。
万一同じことを習うにしても、成績や結果で比較しないことです。
そして過程や本人の成長を誉めてあげてほしいと思います。
ケ・セラ・セラ
最後に、
仮に結果が出せなかった場合
子どもは想像以上にショックを受けます。
私は試験結果そのものより、これまで見た事のないような息子の流す涙にショックを受けました。
私はそれまで、合格した大学をキャンセルして、志望大学の再受験を望んでいましたので、合格した大学に入学金を支払っていませんでした。
しかし、息子のただならぬ状況に、それは誤った判断だと思いました。私立大学への入学不許可はこれまで彼なりに努力してきたことすら全部否定し、そして彼自身のこれまでの道のりを否定してしまうことなのだと。
私と息子は、予定していたスケジュールを全部キャンセルし、翌日締切を控えた合格大学へ入学金を納入するため、最終の新幹線で帰郷しました。
残念な結果と事務的アクシデントにより、私が銀行へ金策しながら入学金を納入している間に無事息子は皆と一緒に卒業式に参列することができました。
試験に落ちたら卒業式に一緒に参加できる
とクラスメイトに話していたそうですが、皆何も言わずに突然現れた息子を温かく迎えてくれたそうです。
息子は晴れやかな顔で卒業証書を持って帰ってきました。一生忘れられない笑顔でした。
私が高校の時は参列することが出来なかった高校の卒業式に息子は参列出来て、本当に良かったと思います。
人生、ケ・セラ・セラ
そして今年、いよいよ最後の受験生の親を勤めます。
頑張ります。
※この記事はR3.7.3にスペース内でお話した内容に、後半部分を追加して編集しなおしたものです。皆様の心に何かしらとどくものがあれば幸いです。