石井 俊太郎

石井俊太郎です。 1990年夏生まれです。 https://twitter.com/udon_tarou

石井 俊太郎

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最近の記事

私が個物であることから、外界の存在の不可欠性という「タテ問題」と、私以外の精神という「ヨコ問題」の両方をいっぺんに捉える

本記事は私のXのポストを修正したものです。以下、本文。 「名」とは「xxxxであるものは「xxxxである他のものがあってはならないxxxxであるもの」である」を満たす名詞xxxxである。「これ」も「このライオン」も名である。 全ての名の集合が現実である。 名によって指されるものが個物である。名によって指される全ての個物の集合が世界である。 「名」とは何かについては下の第1部第1章1-1参照。 また、「これ(このライオン)」は「私が出会う他のもの(ライオン)があってはならな

    • アンセルムスによる神の存在証明と十戒に関するメモ

      本記事はXのポストの転載です。以下、転載。 アンセルムスによる神の存在証明における神の定義(a being than which no greater can be conceived)は、おおまかに、First Commandment=十戒の1つ目(Thou shalt have no other gods before me)の解釈であると気付いた。 まず、haveをconceive、godをgreatest beingとすると、十戒の1つ目は、「You shall

      • 「私」が「ありありとしている」ことについて

        まえがき 本論文では、「私」という概念の構造を解明する。その過程で、本論文における「私」とウィトゲンシュタインの「私の主体としての用法」の議論における「私」を同一視することによって、ウィトゲンシュタインが考える独我論を、補いつつ取り込む。さらに、他者というものを考えることで生じる歪みを覆い隠すために、「心」という概念が作り出される様を描く。また、第4章までは、「今」という概念についても、その構造の解明が、「私」という概念について行われるのと並行して、行われる。  第0章では

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        • 私・今・神という「名」~「私」という名を発端にして~

          まえがき  本論文では、私・今・神(旧新約聖書における神)という「名」が何であるかを解明し、これらの「名」を私が用いるということがどういうことであるか、また、これらの「名」を私が用いることで、私がどのような事態に陥るかを解明する。  第0部では、「私」という語が、その語を発する者が誰であるかに依存して2つの異なる仕方で機能することを明らかにする。  第1部では、私・今・神という名を検討するための準備として、名詞が何であるか、人が名詞を用いることがどういうことであるか、また

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