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矢野宏の平和学習 06「戦時災害援護法の制定を目指した運動」

 杉山千佐子さんは1972年に「全国戦災傷害者連絡会」を結成。民間の戦災被害者への補償を求めて、一人で運動を始めた。
 翌73年2月、愛知県選出の社会党参院議員、須原昭二氏が参院社会労働委員会で、民間の戦災傷害者の補償を拒む国の対応を批判した。
これに対し、当時の斎藤邦吉厚生大臣は「戦災傷害者は国家的身分のないもの。国との雇用関係がないから補償しない」と答弁した。
 6月には、須原議員が民間の戦災被害者にも国家補償を行うことを趣旨とする「戦時災害援護法」案を議員立法で提出した。だが、このときは審議未了、廃案となった。

 須原議員が亡くなった後、同じく社会党の参院議員の片山甚一氏が引き継ぎ、再び戦時災害援護法案を国会へ提案したが、審議未了で廃案となってしまった。
 その後、法案は全野党共同案として国会に上程されたが、1986年に当時の中曽根内閣が自民党安定多数を勝ち取り、財政難も加わって参議院すら通過しなくなった。
 戦時災害援護法案は、1973年から89年までの17年間にわたって計14回、国会へ提出されたが、それ以降は国会で審議すら行われなくなった。
 杉山さんはこう語っていた。
「私たちは国との雇用関係がないとか、内地は戦地ではないからと差別され、軍人ではないから、軍属ではないからとの理由で、あらゆる福祉から置き去りにされています。特に戦災で傷害を負った者はその傷ゆえに仕事にも恵まれません。
 戦争中、私たち一般の民衆は、お国のために銃後の守りにと、安全なところへ避難することも許されず、無理やり戦争に参加させられ、必死に戦ってきました。戦争末期には、内地、外地の区別なく全国土が戦場だったのです。にもかかわらず、傷つけば消耗品扱いとはあまりにもひどすぎます」

 では、外国ではどうなのか。
欧米諸国では、イギリスやフランスなどの戦勝国、旧西ドイツなどの敗戦国を問わず、軍人・軍属と民間人とを区別することなく、補償を行っている。さらに、自国民と外国人を区別することなく、戦争被害者に対する補償を行っている。
 旧西ドイツの場合、戦後最初にできた法律が「戦争犠牲者援護法」だった。
戦争で傷ついた人は、基本給と賠償金が支給されるほか、障害の度合いによる手当、医療費、住居費、生活費、介助費がつく。
空襲で受けた傷、すべてに対して補償が行われ、特に顔面の負傷は、生活の権利を奪っているものとして、重度障害と認められ、多額の支給がされるという。
 それに対し、日本の戦争補償制度は国際的にも異質だ。
日本の戦争保障制度は、原則として軍人・軍属を対象としており、民間人の被害については、被爆者への医療・給付などの例外を除いて一切行われていない。
 しかも、そのほとんどに国籍条項があり、外国人は補償の対象外とされている。
 天皇制国家に忠誠をつくした軍人・軍属が、戦争という公務によってけがをしたり、死亡したりした場合だけ、「戦傷戦病者戦没者遺族等援護法」の対象として国家補償するというのが政府の見解なのだ。
 つまり、日本の補償制度は、戦争犠牲者への「謝罪としての補償」ではなく、天皇制国家のため死んだことへの「感謝を込めての補償」なのだ。

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