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大地が広がり星が流れた。ジョン・ウィリアムズに導かれた音楽の時間

不穏な風、雄大な大地、広がる宇宙、魔法のキラキラ。ジョン・ウィリアムズの指揮による演奏を聴きながら、わたしの中にいくつもの情景が浮かびあがった。

お初のサントリーホール。キラキラの世界……。

人生初めてのオーケストラコンサート

 「映画音楽」という言葉を知ったのは、ジョン・ウィリアムズさんの曲がきっかけだ。

 『E.T.』も『スター・ウォーズ』も『ハリー・ポッター』も『ホーム・アローン』も『シンドラーのリスト』も! 子どもの頃に私が出会った作品の多くの音楽にウィリアムズさんは関わっていた。聴くと力がみなぎる。空も飛べそうな気がするし広い大地に降り立てそうな予感さえする。いつの間にか映画を観るとき、音楽を聴くことも大きな楽しみになっていた。

 そんな偉大な作曲家と同じ空気を吸える日が来るなんて。

 2023年、ジョン・ウィリアムズさんが、来日した。それも30年ぶりだという。

 ウィリアムズさんは、9月2日、長野県松本市にて、小澤征爾さんが総監督を務める「セイジ・オザワ松本フェスティバル(OMF)」で指揮をした。ステージ上で小澤征爾さんと握手を交わした写真を見て、深い友情を感じた。

 そして松本のステージから3日後の9月5日、東京のサントリー・ホールにウィリアムズさんがやってきた。ドイツ・グラモフォン設立125周年 Special Gala Concert。演奏は、松本と同じくサイトウ・キネン・オーケストラだ。

 運よく取れた席は、ステージの横の2階席。指揮台がよく見える。席に座り開演を待つあいだ、ふと私はオーケストラのコンサートに来るのが初めてだったと気づいた。ピアノコンサートは何度も聴きに行っているし、今年はクラシック音楽祭の「ラ・フォル・ジュルネ」も堪能している。なのに、オーケストラのコンサートは生で見たことがなかったとは。

 初めてがジョン・ウィリアムズさんのコンサートだなんて贅沢者だ。とはいえ、オーケストラってどんな存在なのだろう。開演を前に小さが疑問が芽生えてきた。

ふたりの指揮者による尊い時間

プログラムとE.T.と。深夜まで友人と感想をぶつけた

 第一幕の指揮はステファン・ドゥネーヴさん。映画『E.T.』から3曲も演奏してくださった。ほがらかで楽しそうな指揮に、聴いている私も気分が高揚した。聴きながら空も飛んだし、UFOも宇宙も感じた。最近の私は、E.T.の姿を見るだけで目が濡れる。“友情”に弱くなっているのか。『E.T.』の「フライング・テーマ」を目の前で聴き、曲も映画もさらに好きになった。

 第二幕、ついにあの“ジョン・ウィリアムズ”が登場した。会場はこれまで聞いたことのないぐらい大きな拍手が沸き起こった。黒いおズボンに黒いトップスのインナー、白いジャケットを羽織ったお姿。指揮台までゆったりと歩いていらっしゃった。神々しい。「スターが目の前にいらっしゃる……!」と鼻息があらくなるような興奮具合だ。

 ウィリアムズさんはマイクを手に少しお話をされた。話しかたからチャーミングな人柄が伝わってきた。小澤征爾さんへの感謝の言葉を伝えながら、「スーパーマンは日本語で Seiji Ozawaのこと」というようなことをおっしゃった。そして指揮棒を取り「スーパーマン・マーチ」が始まった。

指揮棒に音楽がくっついて

 ウィリアムズさんの指揮は魔法だ。指揮棒を振ると、演奏も会場もみんながどこかへ導かれているようだ

 指揮棒が上がると、ホールが静まる。私も息を止める。唾さえも飲み込めない。異様な緊張感にさらに緊張しながら、この空間に立ち会える喜びを味わう。

 曲が終わる。指揮棒が最後の一音の余韻を作る。音が空間に溶けて消えていくまで、会場は一体となり静かに見守る。大迫力の音で終わる曲では、盛り上がりを堪能した。最後の一音で、指揮棒とヴァイオリンの弦がわっと高く掲げられる。空気を大きく切るような迫力と、音の粒が狂わずに揃うさまは、聞き惚れ見とれた。会場は大きな拍手に包まれ、「音楽ってなんて楽しいの!」と酔いしれながら喜びを手にこめて爆発させた。

 指揮を眺めていると「指揮者はいろいろなメッセージを発しているのでは」と感じる。体も表情も目も口も呼吸も、意味があるように思う。ウィリアムズさんは指揮をしながら何を伝えているのだろうか。そんなことを考えながら演奏を聴くのもなんだか楽しい。さらには指揮者の目線や動きを見て、「いまの音を奏でているのは、あの楽器だ」「映画のあそこのあの音はピッコロだったのね」などと心が踊った。楽器を知る機会になり答え合わせをする時間でもあったのだ。

 ジョン・ウィリアムズさんの指揮は、指揮棒に合わせて演奏が動く。細く白い指揮棒の先に、音楽がくっついてまわっているようだ。音が元気になったり静かになったり、はねたりささやいたり、生き生きと踊る。私は音を聴きつつ見つつ、追いかけつつ、とても忙しかった。でもすごく豊かな時間だった。

楽器を知り音に出会う

 オーケストラの演奏を間近で見て、音楽はいろんな楽器が音を担い、重ねているんだとと感じた。

 私の音楽の聴き方は、目立つメロディを辿るのが主なやり方だ。「トランペットの旋律、かっこいい」「ヴァイオリンのソロは沁みるねぇ」と耳に入ってきた楽器に、まず着目することがほとんどだ。おそらくパートの主役の音に、すごくひかれるタイプなのだ思う。

 けれども今回、オーケストラを生で聴いて目で見たことで、主役の楽器以外にもそれぞれに役割があることを認識した。主役の音を筆頭に、音が何層にも重なって、あの分厚くて重厚で崇高な音楽ができている。……なんて素人ながら思った。

 例えば今回のコンサートでは、ヴァイオリンの人たちが弦をものすごく小刻みに超絶速く動かす場面があった。耳をすませると小さな音が聴こえてきた。かすかな風音を表現しているのか、不穏な雰囲気を醸し出しているのか、その音が曲の空気を作っていた。CDやアレクサで聴いていたときはヴァイオリンだとは気づかなかったが、生で聴くとちゃんと気づくことができる。と同時に、主役のメロディではないけれど、絶対必要な音であることも知る。小さな音ではあるが、ヴァイオリンが奏でる音はなくてはならない。パートを完成させるために、楽器がそれぞれの役割で奏でる。その音の重なりによって、わたしたちの前にいろんな世界を見せてくれる。大地は広がるし星も流れるのだ。

 オーケストラという集団と、個々の役割、まとめる指揮者。どれも必要だということに、なぜだか私はいたく感動した。世の中といっしょじゃん。演奏を聴きながら、私は自分の仕事を全うして生きていこう、真面目に打ち込もうと静かに心に決めた。

 そしてもうひとつ感じたのは、この世には音が無数にあるということだ。ひらがなやカタカナで表現できない音。息を使い力を込め、人を通して楽器から音が生まれる。この世の音は無限なのかもしれない。

 ステージからは演奏家たちの息づかいや空気を切る音が聞こえる。音楽は“なまもの”だ。なじみのある曲の演奏だけど、目の前で繰り広げられる演奏や音は、このときだけのもの。ウィリアムズさんがこのホールで指揮棒をふった、このときだけの音。ただひとつの音楽。だけど、立ち会った私たちのなかでは永遠だ。

友だちっていいな

 今回、91歳のジョン・ウィリアムズさんが来日したのは、大切な友人である小澤征爾さんのためだと聞く。小澤征爾さんを語る口ぶりはチャーミングで、プロフェッショナル同士の豊かな思い出が想像された。

 ウィリアムズさんが小澤征爾さんに贈った「Tributes!(for Seiij)」は第一幕で聴くことができた。ドゥネーヴさんが大切に指揮をし、最後に楽譜を抱きしめる姿に心があたたかくなった。

 映画『E.T.』のE.T.とエリオットの関係とは違うけれど、ジョン・ウィリアムズと小澤征爾の“友人”という関係に、私は映画を思い出した。E.T.とエリオットが部屋でこっそり遊ぶシーン、ハロウィンの仮装、エリオットの心配そうな表情。自転車ごと空を飛ぶ場面に最後の挨拶のところまで。鮮やかに思い起こされた。

 公演を観て、お姿を見てふと思う。友だちっていいな。友情って美しい。

素晴らしい夜になりました!



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