[5]国民が支持したから戦争をしたのか

 社会科の授業で「対華二十一カ条の要求」について学んだ時、あんなに不平等条約に苦しんだ日本が、どうして同じ苦しみを中国に与えるようなことをしたのか、不思議に思った。けれども授業からそれてしまう気がして、先生には質問しなかった。

 1930年代から40年代のファミリーヒストリーを調べる中で、ずっと忘れていたその疑問を思い出した。
 大人は「自分がされて嫌なことを他人にしてはいけない」と子どもに教えるのになぜだろう、と。

 疑問は次々と湧いてくる。

 そもそもなぜ、日本は戦争をしたのだろう。

 日本がした戦争は太平洋戦争だけではない。
 明治維新以降、戊辰戦争という内戦があり、日清、日露、第一次世界大戦、日中戦争と戦は続いた。日本人はずっと戦争をしていたのだ。

 太平洋戦争が終わると日本人は、戦争はしてはいけないと言う。では日清戦争や日露戦争のときはどうだったのか。第一次世界大戦のあとは?
 
 大きな犠牲を払った日露戦争があり、「守れ満蒙 帝国の生命線」というスローガンに国民が熱狂したことを、教科書で学んだ。

 それによって私たち国民は戦争に駆り立てられたのだ、メディアや軍部に煽られたのだ、というのは本当だろうか。むしろ国民が支持したから、政府や軍やメディアが動いたのではないか。

 国民ってなんだろう。

「お国のため」に、満洲で食糧増産に貢献した開拓民は見捨てられた。特攻で若い命が無意味に散らされた。国民を守らない国家ってなんだろう。

 国民と領土と主権は国家の三要素だと教わった。戦争では国家は国民を犠牲にし、国民は国家のために自己犠牲を厭わなかった。

 国民と国家は本当はどういう関係なのだろう。

 「ABCD包囲陣」が太平洋戦争の原因というのは入試用の解答でしかなかったのかもしれない。入試が1月だったから近現代史の単元ははしょったというのは言い訳にもならない。結局私は歴史を知らないのだ。

 自分の無知と向き合おう。

 政治史や現代思想に疎いまま読み始めて消化不良気味になった本もある。迷走しながら次の2冊にたどり着いてスタートラインに立てた気がした。

 『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(加藤陽子著、新潮文庫)
 『戦争の日本近現代史』(加藤陽子著、講談社現代新書)

 読み終えてわかったのは、幾多の日本が関わった戦争が国際情勢の複雑で大きなうねりの中で起こっていたということ。遠い場所で起きた小競り合いが、明日の大戦につながるかもしれない。たとえばナゴルノカラバフやカシミールで起きていることが。

 国々は地球を覆うプレートのように離れたり近づいて沈み込んだり行き違ったりしてずっと動き続けている。私はそのプレートのどこに足を置くべきなのだろうか。乗っているプレートが思わぬ方向に進んでしまうかもしれないし、地殻変動に巻き込まれるかもしれない。わかっているのは、学び続け考え続けなければ答えは見つからないということだ。

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