3.「行なう」の「な」はムダなのか
少し前まで「行なう」、と「な」が送られているのは自分より上の世代の文章に多い印象がありました。最近になって、ネットのコンテンツをはじめ紙媒体でも若い人が「な」を送っているのを目にすることが増えたように感じます。
校正の仕事では、この「な」は、何も指示がなければ削除されます。ただ署名原稿で、一貫して「な」が送られていると、そのままにすることが多いです。
では「な」は、余計なのでしょうか、それとも送る意味があるのでしょうか?
(1)市役所に行って、転出の手続きを行った。
(2)市役所に行って、転出の手続きを行なった。
(1)の2つの「行っ」はそれぞれ「いっ」「おこなっ」と読みます。
同じ文字なのに読み分けられるのは、「に」と「を」の働きによるものです。
(2)のように「な」を送ると、2つの「行っ」は読み間違うことはありません。
「な」は機能からいえば、「なくても読めるからいい」ぐらいの絶対に必要な送り仮名ではありませんが、「な」が加わると読み間違いようがなくなります。
では、「正しさ」という点ではどうでしょう。
私が小学生の頃なら「行ないました」と書いたら、×が付けられたでしょう。校正でも原則は「行いました」が正しいとされます。校正の現場でよく使われている『記者ハンドブック第13版』(共同通信社)でも「おこなう 行う 行い」とあります。
このようなきまりの基になっているのは「送り仮名の付け方」(昭和48年内閣訓令)です。
「送り仮名の付け方」では、本則として動詞など活用のある語の送り仮名は、活用語尾を送ることになっています。それに従うと、「行う」となります。同時に「許容」として、「行なう」も認めています。
「許容」される語はほかにも、表す(表わす)、著す(著わす)、現れる(現われる)、断る(断わる)、賜る(賜わる)が挙げられています。
みなさんは、この中の語で送り仮名に迷った経験はありませんか?
この「送り仮名の付け方」は、「法令・公用文書・新聞・雑誌・放送など、一般の社会生活において、「常用漢字表」の音訓によって現代の国語を書き表す場合の送り仮名の付け方のよりどころを示すもの」であり、科学・技術・芸術その他の各種専門分野や個々人の表記にまで及ぼそうとするもの」ではありません。(「送り仮名のつけ方」前書きより)
ですから、新聞用字用語集である『記者ハンドブック』が「行う」を採用するのは当然のことです。また、個人がネットで「行なう」と書き込むのは自由ですし誤りでもありません。
ただ不特定多数を対象とした出版物やWEBコンテンツでは、まぜこぜは読みにくいのでどちらかに統一する必要があります。
さてこの「送り仮名の付け方」は「送り仮名のつけ方」(昭和34年内閣告示)が改定されたものです。改定前も動詞は活用語尾を送るのが原則ですが、例外として「行なう」が挙げられています。つまり、この時は「行なう」、と「な」を送るのが正しかったのです。そして同様に例外として挙げられているのが、表わす、表われる、現わす、現われる、著わす、著われる、脅かす、断わる、賜わる、群がる、和らげる、といった語です。
これで年上の人たちが「行なう」と書いていた事情がわかりました。
では、この頃若い人たちが「な」を送るのはなぜでしょうか?
おそらく、ずっと以前から「行う」「行なう」は併存していたのでしょう。正確には議論の経過を調べてみないとわかりませんが、どちらかというと「行なう」が優勢であったので、「送り仮名のつけ方」では「行なう」を正しいとしたのでしょう。でも改定の時に、活用語尾を送るというルールに従って「行う」を原則として、「行なう」も認めることになったのだと思います。そして学校では「行う」と教えたので、「行なう」は誤りと捉えられることもありました。
しかし「行う」と「行なう」の違いは、どちらがより親切か、というだけの差でしかないので、インターネットで個人が発信するようになると、自然と「行なう」も使われるようになってきた、ということなのではないでしょうか。使用されている量を計ったり、ルール制定の事情を詳しく調べたわけではないので仮説にしか過ぎませんが。
ただ未来は、日本社会に日本語非ネイティブの人が増えるなら、読みやすい「行なう」がより選ばれるのではないかと予想しています。