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なかなか東京を好きになれない自分

2021年10月。9年間のフランス生活から離れ、1ヵ月の日本での夏休みを終えてから、私の東京生活が始まった。今まで東京には観光で何度か来たぐらいで、特に憧れたり、住みたいとも思ったことがなかった。

住む理由としては通いたい大学が東京にあるということだけだった。
自分の人生の一つの経験として東京に住むのも悪くない、いい出会いがあるだろう、とわくわくしながらもなぜか後ろ向きな気持ちで東京生活が始まった。

大学に通い始めて、私は東京にいることに対して少し息苦しさを感じ始めた。大学はとても楽しいのに、東京が好きになれなくて嫌なもやもやが自分の中にうまれていた。
この気持ちの原因の一つは通学の電車だ。自分が乗っていた大江戸線はラッシュの時間帯でも、まだましなほうだと思うが、私には苦痛だった。

電車に乗っているスーツを着た人の塊を観察しながら私は携帯のノートにこうメモしていた。

「ホームに並ぶ抜け殻のような人間。
 ドアが開くと流れていくロボットのような機械的な人間。
 携帯を眺めながら下を向く。狭い空間に入り込む。
 表情を変えず、黙ったまま押しつぶしていく、押しつぶされていく。
 マスクをしているからか、表情が全く見えず、
 意思のない疲れ果てた抜け殻のようだ。

 パーソナルスペースもなく、人と人の物理的な距離はゼロに近いのに、
 心の壁はとても分厚い。
 人が多すぎて、色が重なりすぎて人間性をまったく感じることができない
 一人一人の色が見えず、自分の周りがすべて茶色、黒にみえる。

 その中にいる自分も黒に染まりそうで怖い。
 流されそうで怖い。
 機械的にしか動かない人間になりそうで怖い。
 何か自分の中に宿っている大切な何かを失いそうで怖い。
 自分というものを見失いそうになって怖い。」

東京の電車をイメージして描いた絵

どんなに押されても無反応な人間を見ていて私は怖くなった。とても居心地が悪かった。電車の中にいる時間が自分のエネルギーをすべて吸い取っていく気がして嫌いだった。
でも東京が好きになれない気持ちを通勤の電車のせいにするのは違うと思った。

もう少し東京を知ってみようと思い、散歩をしたり友達に会いに行ったりしてみた。

大手町を散歩

渋谷、新宿、大手町、日本橋、銀座、六本木。
あまり生活感を感じることのできない街並み、高いマンション、商業施設を見上げながら、人混みの中を歩きながら、自分がとってもちっぽけな存在だと感じた。
消えたくなった。苦しかった。東京が好きになれる気がしなかった。

その頃、東京が息苦しくて知り合いが多い関西に1ヵ月・2ヵ月に一度行っていた。なぜこんなに関西が落ち着くのだろう。なぜ東京にいると居心地が悪いと感じるのだろう。不思議でしょうがなかった。

そしてなぜか悔しかった。
私はなかなか何かを「嫌い」と言えない。「苦手」であっても「嫌い」ではない。「東京が嫌い」という気持ちに根拠がない気がした。もっと東京を知ってから、自分が納得して「嫌い」と言いたかった。「苦手」な場所はあるかもしれないけど「好きな」場所もあるはずだ。関西での息抜きを終えてもう少しいろんな場所を散歩して探索しようと思った。

等々力駅

下北沢、国分寺、代々木上原、等々力、東中野、根津、日暮里。
できるだけ大通りや人混みを避けて、路地裏を歩いたり、商店街の中を通ってみたり、古本屋やカフェ・喫茶店巡りをしながら「好き」になれそうな場所を探してみた。昔からある駄菓子屋さん、夕方になると料理の香りがする住宅街、地元の人が集まる喫茶店、歴史のある銭湯、にぎやかな居酒屋、古民家を改造したカフェ、おばあちゃんが営んでいる可愛いお花屋さん、埃のにおいが漂う古本屋。。
心がほっこりする。落ち着く。こんなに素敵な場所があったんだ。。

北千住にあるクリエイターが集まるシェアハウス、アサヒ荘に引っ越してからも、知り合いが増え、東京で「好き」な場所が増えた。

関西にいると落ち着けたのは多分知っている人がいるという安心感を抱いていたからだろう。
東京を好きになれなかったのは多分色々なもの・人が集まってごちゃごちゃしている町だからだと思う。いい意味でも、悪い意味でもごちゃごちゃしすぎていて、同じ場所にいろんなものが集中しすぎていて何がなんだかよくわからなくなる。そしてどうしても嫌なものが目に入りやすくなる。

正直今でも東京という町が好きだとは言いきれないし、将来住みたいとは思わない。でも「好き」な場所があると思えるだけでここに住んでいる時間を楽しく、新たな発見をしながら、ここで自分にできることを進めながら過ごせる気がする。

国分寺で読書
北千住で夕方の散歩


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