見出し画像

5年生の思い出

小学校5年生の時の担任のS先生は、大学を出たばかりの新人の男性の先生だった。初日のクラスへのあいさつの時、ズボンの折り目がピッとまっすぐで、カッコいいなと思ったことを覚えている。つまり他の先生は、ヨレヨレだったのかもしれない。

S先生は、まず自己紹介をして、最後に質問はないですかとクラスのみんなに聞いた。私は面白半分、からかい半分で手を挙げて、「先生は大学でデモをやりましたか?」と聞いた。

時は1969(昭和44)年4月。テレビのニュースは連日のように、大学紛争やデモの報道をしていた。だから何も知らない私は、大学生といえばヘルメットかぶってゲバ棒を持ってデモをするものだと、思っていた。3月まで大学生だった先生に、聞かないわけにはいかなかった。

S先生は、一瞬戸惑ったような表情をしたが、自分を落ち着かせるようにして、「私もデモに行ったことはあります。でも毎日していたわけではありません。少しは先生になる勉強もしました」というようなことを答えた。

5月頃に、春の遠足があった。5年生は、見晴らしのいい近くの山へハイキングだった。山といっても牧草が広がっている丘のようなところだった。みんなで弁当を食べた後、鬼ごっこをして、クラスみんなで先生と遊んだ。

当然、先生をやっつけようという悪い男子が(私も含めて)、先生にタックルして、草の地面に一緒に倒れた。その時、S先生のポケットから財布が落ちた。財布は開いて、モノクロの写真がはさまっていた。私たちはその写真を見ようと、財布に手を伸ばして、先生と取り合いになった。

S先生も見られたらマズイらしく、取られまいと必死だった。結局、その写真は見せてもらえなかったが、一瞬見えた写真には女性が写っていたように思う。

残念ながら、その先生は、1年間で私たちの学校から転勤していった。

というのも、4年生の時の私たちの担任も、新採用の女性の先生だった。その女性の先生とS先生が結婚することになり、二人の先生とお別れすることになったのは、残念だった。

その後、1回だけ、お二人が乳母車を押しながら、商店街を並んで歩いているのに出会ったことがあった。テレビのコマーシャルに出てくるような幸せなカップルに見えた。でも、何十年後かのクラス会で、友だちからあの二人は別れたらしい聞いたときは驚いた。人生はわからないものだと、思ったものです。

ところで、私が出た小学校は、ちょっと変わっていました。1クラスは20人前後で、1つの学年が1クラスしかない小規模な学校でした。しかも、小学校と中学校が同じ校舎、校庭、施設を使っていました。

運動会などの学校行事も合同でした。職員室、音楽室、理科室など全部共用、校長先生まで共用で、一人の校長先生でした。だから、普通は小学校と中学校は別の学校になっているということを私が知ったのは、少し後になってからでした。

ですから、小学校1年から中学3年まで、ずっと同じメンバーのクラスだったのです。今風にいえば「小中一貫校」ですね。そんな小学校に、S先生は新人の先生として1年目に赴任して、パートナーを見つけてさっと消えていきました。

S先生、幸せに生きているかなあ。

6年生の時の思い出は、こちらの記事をご覧ください。

いいなと思ったら応援しよう!