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飽きたけど、まだ好き

すこし不思議だが、「好き」と「飽きた」は共存する。

嫌いになったわけではない。やることがなくなっただけ。まだ好きではある。

8年間・5000時間も遊んだスプラトゥーンへの最近の気持ちを書いてみる。

ゲームに限らず、趣味・好み一般に言える内容だと思う。

いわゆる厄介オタクとは逆で、存在感はないけれど、変な感情のオタクになってしまったことを語ってみる。

飽きた

用意されたコンテンツは、ほぼ全部楽しんだ。

ストーリーはもちろん、レートを賭けた対戦も満足できるまでやり込んだ。これがきっかけで始めたSNSでは、波長があって遊んでくれるフレンドもできたし、非公式大会やリーグ戦に出たこともあった。

サントラやアートブックも全部買った。
一番くじも引いた。セブンイレブンのおじいちゃん店員に「よく分からないけど良いヤツなんでしょ?」と言われながらクマサン貯金箱を1発で引き当てた。

そんなこんなで、かなり楽しんだ。
でも、さすがに、やることがなくなってきた

ゲームのような消費型の楽しみは、公式からの配給がないとひもじくなってくる。

非公式なユーザー同士の遊びで自給自足するのにも限りがある。企画側はもちろん、参加側も多少のエネルギーが必要だ。
もっともっと楽しみたいのに、必要エネルギーが多くなってきた。

そんなにエネルギーが要るなら、やらなくていいか… と思いはじめる。

飽きた、というやつだ。

けど、まだ好き

嫌いになったから遊ばなくなったのではない。

むしろ、いま考えても、かなり好き。シューターとしてのゲーム性はもちろん、ビジュアル・サウンド・世界設定、全部好きだ。

だから、アクティブユーザーでないファンという変なポジションをとってしまう。

トレンドを追って色々コメントしたい。自分では使わないくせに、アプデ情報の良し悪しについて語りたい。

ネガティブなコメントは、ちょっと嫌な気持ちになる。過去作のほうが良かった、なんて聞きたくない。自分は参加しないくせに、流行っていて欲しい。

(煮詰まっていて閉塞感がある状況なので、批判が出てくるのもよく分かるが…)

輝いていて欲しい

自分が熱中していたものには、ずっと輝いていて欲しい。

熱中した体験だけでもとても良いものだったが、自分が熱中していたものは良いものだったと思いたい願望が混じっているように感じる。

たぶんスプラトゥーンに限らず、ゲームに限らず、どんなジャンルにもそういう微妙な熱量のファンがいると思う。
アクティブではないから見えにくく、ひっそり暮らしているのだろう。

だからこそ、流行っていないコンテンツだとしても、あんまりネガティブなコメントをすべきではないな、と思った。
数千時間を費やしてきた思い出が傷つけられた、と感じてしまう人もいるかもしれない。



アイキャッチ画像は、PCを整理していて出てきた2017年当時のスクリーンショット。全く意図が分からない。駆け出し感のあるウデマエで微笑ましい。

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