「インビジブル・アセット」を大切にするキャリア

前職の同期が転職するのを決めたらしい。
私の前職は、人材広告の営業会社で、社風は昭和のレガシーのような会社。
私自身、憂鬱とともに働いていた。
そういう意味では、新たな門出でお祝いしたい。

ただ、今後の働き方や転職の方向性にまだ迷っていて、「たこ焼き屋でもやろうかな〜」と話していた。(笑)
その時にあまりいい対話ができなかったので、ともいき的な視点から、仕事観やキャリアについて、あらためて言語化したいと思う。

■ ビジネスの経済性・生産性 vs 仕事本来の価値

まず、私の前職では、何が憂鬱の元凶だったのだろうか。
それは「売上とKPIに支配された企業文化・マネジメント」だ。
どんな時も数字、数字、数字…。😱
環境とは怖いもので、想いを持って入社した私たちもその環境にいると、
仕事とはそういうものなのだ、と感じるようになる。

私たちの働き方の多くは、数値・生産性といった支配されてしまっている。
働き方研究家の西村佳哲さんは、著書を通してそうした働き方に疑問を投げかけている。

少し、そのまま引用して紹介したい。

多くの仕事場で効率性が求められている。
しかし、なんのために?
大半は経済性の追求にあって、仕事の質を上げるための手段ではない。

…経済価値と、その仕事の質的価値では、ベクトルの向きが最初から異なっている。
合理的であること、生産的であること、無駄がなく効率的に行なわれることを良しとする価値観の先にあるのは、極端に言えばすべてのデザインがファストフード化した、グローバリズム的世界だ。

そのゲームから降りて、仕事の中に充実感を求める時、私たちには「時間」を手元に取り戻す工夫が求められる。

(引用元:『自分の仕事をつくる』1章 働き方がちがうから結果もちがう)

多くの人が「ビジネスである以上、経済価値・効率性を追求するのが至上命題」と思っているけれど、西村さんが言うように、経済価値・効率性は仕事の質的価値はベクトルの向きが異なっている。
しかし、本来の仕事の充実感とは、自分自身が仕事の価値(質的価値)にこだわれること、そしてお客さんに感謝された時に感じられるもののはず。

私たちは、西村さんが言うように、古いビジネスのゲームから降りる必要がある。そうした意味で、働き方を考えるためには、ビジネスのあり方も問い直さねばならない。

■ 顧客とともに成長・循環するビジネスのあり方

実業家であり文筆家の平川克美さんは、「インビジブル・アセット」という言葉を使って、目に見える数値・生産性だけを追求するようなビジネスのあり方を批判している。

「インビジブル・アセット」とは、技術や誠意と交換される満足や信用といったもののこと。
経営にとって大切な「見えない資産」なのに、行き過ぎた市場原理主義のなかでは見落とされている。

ビジネスの最も基本的なところにあるのは、よい商品やサービスを作ること。それを必要としている顧客がいること。その商品やサービスを媒介として、ビジネスの主体が持っている技術や誠意といったものの顧客の満足や信用といったものを交換することに尽きる。
ビジネスにおいて、モノや数字に執着することは、足フェチが全体のプロポーションを見えないようにしているのと同じことです。モノ(商品)や数字(利潤)に憑かれると、ビジネスを構成している全体の要件が見えなくなります。

(引用元:『一回半ひねりの働き方』第8章 攻略しないという方法)

平川さんが提唱しているのは、顧客を利潤のための食い物にするのではなく、顧客とともに成長し循環する本来の商いのあり方と言える。

環境問題などのサステナビリティについて、問題が深刻化している中、そうしたビジネスのあり方こそ求められているはずだ。

■ 「インビジブル・アセット」を大切にするキャリア

働き方やキャリアについては、メディア等でも、終身雇用崩壊・個人のキャリア自律が多く議論されている。

会社に頼らないで、個人の資格、スキルとか専門性とか市場価値で食っていくとか、はたまた安定重視で、社名・給料・労働時間とか…、そういう目に見えやすいものに囚われやすくなるかもしれない。

一方、それは気がつくと個人の経済性だけに囚われた議論になっていないだろうか。それは仕事本来の価値・充実感を見失いかねない。

働き方やキャリアの価値観は人それぞれだし、一つの正解はない。
それでも私は、仕事本来の充実感をより多くの人と分かち合えたらいいなと思っている。

真摯に仕事の価値にコミットする人のキャリアに蓄えられるのは、目に見えない「インビジブル・アセット」。
「インビジブル・アセット」を大切にしてキャリアを築いていくことが、ともいきな生き方かなと思っている。

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