声が出なくなってから、1年経とうとしているね

声が通常通りに出なくなってから、1年が過ぎようとしている。

あの日は7月10日で、納豆好きの私は語呂合わせもあり、明確に覚えている。
元々風邪をひくと喉の症状が悪化するため、今回も同じようにすぐに治ると思っていた。
それがどうしたことか、声帯炎・逆流性食道炎・気管支炎、過緊張の体質、機能性発性障害という診断結果、認知行動療法という心理療法の受診という、今までの人生観が変わる日々を過ごしている。

2020年のコロナ禍も含め、きっと人生観や価値観、自分の軸について考える人も増えたと思う。
私自身1年以上前、少なくとも2019年6月の私が2019年の7月に声が正常通り出なくなるなんて思ってもいなかった。

声が通常通りに出なくなって以降「接客・販売業をする自分」を失った点において、やはり考え方や視点を圧倒的に変えなくてはいけない時期なんだと思うようになった。
あとから人生を振り返ったときの、ターニングポイントかもしれない。

緊急事態宣言の解除からしばらくしたあと、久しぶりに友人と直接会った。
昔のアルバイト先や職場へも差し入れがてら、顔見知りのスタッフとも再会をした。

緊急事態宣言のなか通常に近い営業形態で働いていた場所もあれば、完全に閉店した時間を過ごしたスタッフもいた。
なかには転職をしていた友人もいたり、コロナ禍が落ち着いたら転職をしようと決意する者もいる。
それぞれ立ち話で短い時間だったこともあり詳しく話せないもどかしさもあったが、皆一様に思うところがあるのだととにかく感じた。

東日本大震災とは違う、自分の人生と向き合うタイミングが私たちには訪れている。
果たしてこれは良いことなのだろうか。
そもそも、善悪で決めていいことなのだろうか。

友人知人昔の職場のスタッフたちは、「忙しい」「意外と忙しい」「意味不明に忙しい」「売り上げが圧倒的に落ちた」「転職したい」「もう働きたくない」など、それぞれの仕事に対する想いを抱えている。

私自身このコロナ禍のなか、「仕事と自分」についての関係性について前よりも考えるようになっている。

なんのために働くのか。
誰のために働くのか。
働く先に何が待っているのか。

現在無職の私が何かをどうこう言える立場ではないと過りつつ、それでも、「働くとはなにか」を考えられずにはいられない。

私には何が出来るのか。
私にとって働くとはなんなのか。
私が生きたい姿はどんな形をしているのか。

「私が」「私は」「私にとって」と繰り返される「私」はなんとも押し付けがましく、凡人なりの人生をそれらしく生きろと自戒を込めるも、私が「私」を尊重しなければ、「私」が精神的に死んでしまうという結果に至った。

これも果たして良いことなのかは、わからないけれど。

久しい再会を経た今、ひとまず元気のように見える彼ら彼女らを思い出しては、今の私に出来ることを探す。

通常の発声ができなくなった自分がいること。
「接客・販売業をする自分」を失ったこと。
またいつか「全く声の出なくなる自分」が訪れるかもしれないこと。

私に関する事柄を、今後の私と共存するために模索するしかないと、今日も思う。

1年前の自分へ。
いまの私、頑張ろうと思っていた仕事を辞めてしまったよ。
けどもう少しだけでもいいから、肩の力を抜いてもいいかもしれないよ。

1年後の私へ。
なにをしていますか。どんな生活をしていますか。
いつの日か教えてくださいね。
声や体に負担をかけることはもうどうかこれ以上しないでと、願ってる。

同じ気持ちの方に出会えると幸いです。