【第99回箱根駅伝】國學院大學131期4年生特集

はじめに

「大翔さんのために」と各メンバーが奮闘した結果総合4位を守りきった第99回箱根駅伝。推しである國學院は最終的にマネージャー転向者を含め14人の部員+4名の女子マネージャーが退部し、次のステージへと進みます。

本noteはそのメンバー達の軌跡を振り返っていくものです。記録会毎のデータベース作るほど変態じゃない(オイ)ので、内容が間違ってたらごめんなさい🙇
なお、工数の都合上敬称略とさせて頂きます事ご了承ください。

部員(12名)

①阿久津佑介(那須拓陽高、高校PB:14:53)

実績
5000m:14:24
10000m:29:20
ハーフ:63:16

2年:全日本大学駅伝エントリー

最近の栃木ではすっかり都大路常連となった那須拓陽から、かなり久しぶりに國學院に来た選手です。

高校時代はどちらかと言えば短い距離をメインにやっていた選手で、1500mで県大会3位🥉を取っていました。
入学後は地道に距離を伸ばしており、2年時に全日本の16名エントリーに入っていました。
3年以降はハーフマラソンの回数をとにかくこなしていた印象で、3年の世田谷ハーフから4年の学生ハーフ,焼津ハーフ,札幌ハーフとコンスタントに結果を出していました。
最後のメンバー選考となった上尾ハーフでPBとなる63:16で走るも16人のメンバーからは漏れてしまいました…

②伊野一輝(拓大一高、高校PB14:51)

実績
5000m:14:25
10000m:29:56
ハーフ:65:01

彼は高校PBこそ50秒台でしたが、高3の関東駅伝1区で29分台を出している選手で、ロード型の素質が見えていました。

1年生の時は順調に5000のPBを更新して甲佐10マイルも走るくらいでしたので、かなり期待値高かったのかなあと推察しています。
しかしそれ以降は試合に出る回数が少なく、かなり怪我に苦しんでしまったようです…
最後4年時の上尾ハーフが最初で最後のハーフマラソンとなり、65:01と初ハーフとしては悪くない走りをしてくれました。
彼のプロフィール欄は”浦野組”
これを直に知る世代も最後となりますね…

③川﨑康生(浜松工業高、高校PB14:49)

実績
5000m:14:08
10000m:29:18
ハーフ:63:06

1年:出雲、全日本、箱根駅伝エントリー
3年:全日本予選1組10位、出雲、全日本大学駅伝エントリー
4年:出雲、全日本、箱根駅伝エントリー

この世代で何故駅伝走ってないのか分からない選手権no.1は彼でしょう…
高校時代は県駅伝1区5位とさほど目立つ成績も持っておらず、4年間で地道に成長してくれればと思っていました。
それがなんと1年時から3大駅伝全てにエントリー。1年時の上尾で63:58(大翔とほぼ同着、後半ラップは川崎の方が良い)出してるから当然と言えば当然ではありますが…

2年以降はPBは更新するも割とレース毎にムラがある印象で、3,4年時も駅伝のエントリーメンバーまではこぎ着けるも出走には至りませんでした😢
3年の全日本関東予選では1組目をしっかり10位でまとめました。
4年時上尾ハーフで63:06と最後にハーフのPBを更新してきたのは腐らずに練習を積んできた成果なんだと思います。
全日本箱根で区間変更されている事が本当に多い子でしたが、4年間本当にお疲れさまでした。

④坂本健悟(藤沢翔陵高、高校PB14:36)→プレス工業

実績
5000m:14:27
10000m:28:54
ハーフ:62:38

2年:全日本大学駅伝エントリー
3年:全日本予選2組10位、出雲駅伝エントリー、全日本6区7位、箱根駅伝エントリー
4年:関カレハーフ10位、出雲駅伝エントリー、全日本6区6位、箱根9区10位

この世代で1番國學院”らしい”選手というか成長曲線を描いたのが彼ではないでしょうか❓
入学して順調に5000→10000と実績を積むと3年生の全日本予選で主要大会デビュー。2組を堅実に走りました。夏合宿明けには10000で29:09と好記録を出し全日本出走。しっかり繋ぎ区間を粘り切りました。
箱根駅伝は10区エントリーも出走できずでした…

箱根に出れなかった想いを力に変え、4年生になってもしっかりと結果を出し続け、春の関東インカレではハーフで駒澤青学の強者達と戦って10位。7月の学連網走でついに28分台ランナーに。
距離が短い出雲は出走せずも全日本では2回目の6区をしっかり走り、その後上尾ハーフで62分台を出して箱根9区出走を勝ち取りました。

元旦の朝になんと痙攣で倒れたという記事がありましたが、それでも69分14という好記録で区間10位ではありましたが前と差を開かれる事なく繋いでくれました。
彼のような選手が28分台62分台を出せる環境になったのはとても素晴らしい事だと思います‼彼の思いは高校の後輩となる田邊くん等が継いでくれることでしょう…

⑤中西大翔(金沢龍谷高、高校PB14:05)→旭化成

実績
5000m:13:38
10000m:28:17
ハーフ:62:02

1年:出雲2区3位🥉、全日本4区4位、箱根4区3位🥉
2年:全日本3区8位、箱根2区15位
3年:出雲4区2位🥈、全日本3区11位、箱根4区4位、学生ハーフ2位🥈
4年:日本IC5000m2位🥈、出雲4区区間賞🥇、全日本3区6位

もはや説明不要、この世代の大エースでした。
当時としては初となる14分1桁のルーキーとして入学しました。彼は10月の新潟で14:05をマークしましたが、その時のTwitterプロフィールが”Next→國學院”と書いてあって界隈が驚いてたのを今でも覚えています。
高校が強豪校ではないながら、インターハイ5000mでしっかり決勝に進んでいる実力者でしたので非常に期待されていたかと思います。

そんな中で1年の最初から13分台を出し、3大駅伝全てで好走。
出雲優勝、箱根総合3位の立役者の1人となりました。
2年生になると浦野土方青木らの世代が抜けて”エース”としての立場を背負ったことで少し苦戦した面もありましたかね…箱根2区なんかはまだ走力的に追いついてなかった中での起用となりましたが、それでも耐えていたのは彼の強さなんだと思います。

3年時は当時4年生の藤木木付らがしっかりしていた事でエースとしての重荷はかなり軽くなったのかな❓と思う所がしばしばありました。
怪我明けながら全日本3区を走った彼からは割と口下手な所がありながらも非常に強い気持ちを持っていたのだなあと感じます。

そして4年生になり彼はキャプテンとエースを掛け持つ事に。下に3人エース格がいたことでエースとしての重荷は分散出来てたのが大きかったですね!
箱根前に怪我をしてしまい出走を断念して前田監督と涙したという記事がありましたが、優勝を口にしていただけに本当に悔しかったと思います…

唯一の3大駅伝優勝メンバーとして後輩たちに様々な事を教え導いてくれた大翔キャプテン、本当にありがとう。お疲れさまでした。
旭化成で強い先輩たちと高めあっていってください!(都道府県駅伝、無理はしてほしくないですが双子の学生ラストランが見たい…🥺)

⑥中西唯翔(金沢龍谷高、高校PB14:37)→NTTビジネスアソシエ東日本

実績
5000m:14:15
10000m:29:31
ハーフ:64:09

1年:出雲駅伝エントリー、全日本5区5位、箱根駅伝エントリー
2年:箱根駅伝エントリー
3年:関カレハーフ8位

勘違いされがちですが、中西兄弟の兄は唯翔です。
中高大と大翔と一緒に全国大会を戦う事になりましたが、大学ではかなり怪我に悩まされる事になってしまいましたね…

1年時は順調に10000mまで対応し、3大駅伝全てでエントリー。全日本6区で出走し区間5位とタイプは違えど大翔共々強いランナーなんだなと思わせてくれました。
2年生の時は箱根一本で調整したようですが怪我をしてしまい出走ならず。
3年生の関東インカレで8位入賞と華麗な復活を遂げて遂に…!と思ったなかで12月に疲労骨折をしてしまいエントリー出来ず。

最終学年こそは…!という事で春に復帰して夏合宿を順調に消化。最終選考の上尾ハーフに挑みましたが、絆の物語で放送された通り64:09とPBこそ出しましたがチーム内では下位となり、エントリー漏れとなりました😢

大翔と二人三脚…とは言えなかった事も多い4年間だったと思いますがまだ実業団で競技継続するとの事。
石川県代表として都道府県駅伝にエントリーされていますので、学生ラストランを楽しみに待つのみです🙏

⑦永谷連太郎(美濃加茂高、高校PB14:43)

実績
5000m:14:14
10000m:29:38
ハーフ:63:37

都道府県駅伝4区でそこそこいい走りをしていたので、どんちゃんみたいなタイプかなあと思っていた選手です。(同じ岐阜だし)
1,2年生の時は5000でぼちぼちといった感じで、上級生になって出てきてくれれば…と思っていましたが、その通りに3年生からハーフの試合に多く出始め学生ハーフやぎふ清流ハーフでしっかりと実績を積みました。

しかしながら今の國學院ではハーフ4分台、29分中盤の実績で主要大会に絡むことは難しい。4年生の上尾ハーフで63分台に突入。16人エントリーに入る事は出来ませんでしたが、しっかりと4年間積み上げた物を出してくれました。

⑧西田琉唯(八千代松陰高、高校PB14:55)

実績
5000m:14:27
10000m:29:35
ハーフ:65:14

ここ数年コンスタントに八千代松陰から選手が来てくれていますね(何故かエースクラス来ないけど…)
彼は高校の持ちタイムが(確か)高1のもので、ポテンシャル余ってるのでは?と思っていました。

それを証明するかのように1年から29分台をマークして、これは上級生になったら楽しみだなと思わせてくれました。
ですが彼も中々怪我に悩まされた大学生活となってしまいましたね…
彼の初ハーフは4年時の札幌ハーフで65分台。
怪我に悩まされながらも練習を続けたのは本当に尊敬出来る事ですし、チームの雰囲気がいいのも彼のような選手がいてくれるからこそでしょう😭

最終選考となった上尾ハーフでは65:43でチーム内最下位となってしまいましたが、その経験が今後絶対に活きてくる事でしょう。
彼のお兄さんが美容師で、髪セットしてもらっているのをインスタで見ていいなあと思う事もあったり。

⑨西槇優祐(学法石川高、高校PB14:40)

実績
5000m:
10000m:30:17
ハーフ:64:03

高校駅伝の名門、学法石川から待望のスカウトをしました。
ただこの世代は櫛田(明治)、小指(早稲田)、横田(青学)等非常に強い選手が揃っている世代🤪だった為、主要大会の経験は伊那駅伝くらいでした。

入学後は5000mでぼちぼち走った後10000もそこそこな感じでしたが、2年の新潟ハーフで65分台ながら順位が結構良く、長い距離への適正を感じさせました。
3年生になるとその適正を見込まれたのか山登りの練習をしていたようで、激坂王に出場していましたね。結果的にエントリーされる事はありませんでしたが、層の厚さを高めるのに一役買っていたと思います。

4年時は最後の箱根一本で調整していましたね。学生ハーフは66分台と上手く行きませんでしたが、上尾ハーフでなんと64:03と10000の実績(PBは大1のもの)からすればとてもいいタイムで走ってくれました。
学法石川といえばエリート中のエリートが集まる高校というイメージですが、そこから4年間泥臭く練習を積んできた事は絶対に無駄にならないと思います!

⑩藤本竜(北海道栄高、高校PB14:27)

実績
5000m:14:09
10000m:28:53
ハーフ:65:08

3年:関カレハーフ22位、全日本予選エントリー
4年:出雲5区4位、全日本4区4位、箱根4区4位

最終学年で1番輝いた選手ですね🌟
1学年上でエースを張っていた藤木くんを追いかけて入学してくれました。
高校時代はエースとして都大路も出ていますが、正直上級生までに主力になってくれれば…と思っていました🙊
記事でも出ていましたが、4年生になるまでは非常に怪我に苦しみその間のトレーニングで身体づくりをした事が後に繋がったと書いてありましたね。

確かに1,2年時は本当に出た試合が少なくて、世代2番目のタイムで入学しましたが苦戦してるのかなあと思っていました。
ですが3年で関カレハーフに出たあたりからぐんぐん伸びていった印象ですね!全日本予選のエントリーにも入っていましたし、夏に29分半ばのPBを出して遅咲きながら最終学年は来るぞ…!と思わせてくれました。

そうして迎えた最終学年、彼は早くから主力張っていたのでは❓と思わせるくらいの活躍を見せてくれましたね。
夏合宿前の学連網走10000mで28:53を出すと、3大駅伝全てに出場。
出雲は中央のゴールデンルーキー溜池くんと並走し、そのままタスキリレー。全日本は単独走で後ろから横田(青学)が来る展開でも区間4位の好走で追いつかせる事はありませんでした。箱根駅伝は大翔キャプテンが予定していた4区の代打として出走。準エース区間といっていいこの区間で61分台の区間4位と途轍もないハイレベルな走りでした😭

最終学年の成績だけ見たら実業団からのスカウトが来てもおかしくない安定してハイレベルな選手に成長した彼ですが、実家は北海道湧別で200頭もの乳牛を飼う畜産農家との事。
家業を継ぐため競技は大学で引退します。高校を出たらそのまま家を継ぐことを最初は考えていたそうなので、そんな彼が國學院に来て遅咲きではありましたが大輪の花を咲かせてくれて本当に嬉しかったです!
本当に来てくれてありがとう。4年間お疲れさまでした🙏

⑪宮本大生(つるぎ高、高校PB14:56)

実績
5000m:14:11
10000m:29:16
ハーフ:64:38

彼はあまりタイムを持っていない中、都大路や都道府県駅伝の1区で力が劣る中自分なりの走りをしていた印象でした。
なので大学でしっかり練習を詰めば刻めるロード職人になれるかなあといった事を思った記憶があります。

彼は2年,3年で期待通り伸びを見せてくれました。5000と10000でそれぞれベストを出し、3年の年度末にある学生ハーフで64:52を出して覚醒の兆しがありました。どこかで怪我もしていたようで、継続した練習出来ない期間もあったようですね…
4年生では思ったようなレースが出来ていなかったような印象がありますが、最終選考である上尾ハーフで64:38ではありますが自己ベスト。
学内では下位のタイムとなりましたがしっかり自分の力は出し切ったのではないでしょうか。
メンバー外が決まった後12/24の法政大記録会で彼は10000mのペースメーカー役を務めていました。学生ラストレースになるかもしれないのに、そういう役をやってくれた事、チーム想いな面が出てて泣けます😭


※130期⑫島崎慎愛(藤岡中央高、高校PB14:33)→サンベルクス

実績
5000m:13:50
10000m:28:27
ハーフ:63:08

2年:関東インカレ10000m、全日本1区12位、箱根6区8位
3年:全日本1区4位、箱根6区4位、学生ハーフ3位🥉
4年:関東インカレ10000m、全日本予選4組22位、出雲1区6位、全日本1区3位🥉
4年(5年):全日本1区18位、箱根6区12位

本来であれば某自動車製造会社のルーキーになっていたはずの彼は、1年大学に残って箱根をもう1度走るという決断をしました。

そんな彼ですが、実は高校PBは世代トップでした(14:30切り0スカウトっていくらなんでも…)
國學院へ入学した経緯が、”歴史を変えた世代”の茂原さんの父親(現在富岡高教諭?)からの情報だそうで前田監督も縁を感じたといいます。

1年時は特筆する結果は出していませんでしたが、2年の春から一気に伸びてきましたね。
29:26をマークした後、夏の学連網走で28:46を出し界隈を驚かせました!
その後怪我をしてしまい出雲は回避したものの、全日本で復帰し1区で最低限の走りをしました。その後箱根では6区で59:01と非常に國學院が苦手としていた6区を解決してくれた事が非常に大きかったです🙏

3年時は完全に主力となり、出雲がなかった為全日本大学駅伝から。
1区凄まじいスパート合戦の中4位で繋ぎ、箱根駅伝では58分台で区間4位と往路苦しかったチームを救う活躍でした。
年度末の学生ハーフでは爆風吹き荒れる中3位🥉で入賞し、ユニバーシアードの出場権を手に入れました。(大会派遣はコロナでお流れに)

そして4年生となり、この年は全日本予選がありましたが留学生ひしめく4組で耐える役割を担いました。その後全日本と出雲は共に1区で上位のスパート争いを演じ、箱根1区と見る声も大きかった気がします。
事実1区予定だったそうで、足を痛めて無念の交代となってしまいましたがそれら幾つかのきっかけがあり5年目のシーズンへ向かう事に。

5年目は前田監督の「極力島崎を使わない」発言もありましたが、関東インカレ5000mと全日本1区での起用があったので彼の経験はかなり買われていたのかなと思います。全日本1区は上原の怪我が響いたようですが…
最後の箱根は経験値が重要な6区となりタイムが出にくい条件、更に途中で脚を痛めながらも何とか粘り切りました。
正直今回の箱根は10人揃えるのがギリギリな状態であった為彼が残っていなかったらどうなってた事か…と思う部分はあったので本来言ってはいけないかもしれませんが、残って最後までチームに貢献してくれて本当にありがとう😢

マネージャー(3名)

①主務:村野裕次郎(國學院久我山高、高校PB14:56)


②出浦慎也(埼玉栄高、高校PB15:08)

③片山彩香(杉並学院高)

上記3名がマネージャーとしてチームを支えてくれました。
年初に平林、山本両選手が「マネージャー足りません!」とツイートしていたくらいには人手が足りてなかったようですね…
そんな中でも献身的にチームを支えてくれるマネージャーがいないと部は成り立たないので、本当にありがとう。そしてお疲れ様でした🙇

中でも村野主務は非常に達筆な書でスローガンを書いてくれたりと印象に残りましたね~
マネージャー転向してくれてありがとうございます…
あとここ2年くらいでインスタの画像センスが物凄い向上しているのですが、いったい誰のお陰なんでしょうか…?🤔

おわりに

この世代は浦野土方青木選手たちの”歴史を変えた世代”を直に知る最後の世代でした。
つまり”三大駅伝優勝”を知っている世代がいなくなるという事になります😭
この学年の卒業を持って國學院の時代はまた1つ前進すると言っていいでしょう。
常連校から強豪校へというステップを踏んだ國學院。
前田監督も「100回大会は優勝を狙える」と仰っていましたが、各学年にしっかりと柱がいる事や現1,2年世代のスカウトが非常に良くなっている事で國學院は更に強くなっていく事でしょう。

その礎は大翔キャプテンを始めとして、4年間背中を見せ続けたみんなが築いたものだと思います!
退部した選手も何人かいますが、彼らも含め社会でも輝く姿を見せてください!本当にお疲れ様でした。残り少ない学生生活を楽しんでください😊



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