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追懐する風景、行雲流水に触れたこと。

 広瀬川、だったと思う。

 河原にはトンボが舞い、炭のにおいと金色の寸胴鍋。おそらく晩夏~秋だろう。もう擦り切れてしまった古い記憶の中で、そのような五感に結びついたものだけが匂いを放っている。

 当時のことは幼すぎてよく覚えていない。ただ、川の水がきれいだとずぅっと眺めていた感情だけがある。川はいつまでも絶えず流れ、アーチを描いて流れ落ちる姿を真横から眺めていた。

 水流は同じ形を保っているがその瞬間々々は別の水だ。常に姿を変えながらも一定の方向を保ち留まるところを知らない。細部にこだわると矛盾するが全体を見渡せば揺るぎない自然の営みであるという発見があった。

 幼い私がそこまで明確に思い至ったわけではないが、今でもずぅっと心の底に残り続け追懐してしまう。人生が足踏みをするたびに、ふと、どこかきれいな川へ旅をしたいと考えてしまうのだ。幼いころに見た「行雲流水」は今も座右にある。

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