日記健康法

知人がメールマガジンをしていて、近況報告が毎週送られてくる。メールで届くというのは、なんだか手紙をもらったようで新鮮だ。

知人は文章が上手くて、こんなにいつも自分の内面と向き合って日々を過ごしているのかと驚く。

長くて全文はなかなか読めないのだけど、誠実に日々を過ごしている言葉にふれると、わたしも意識的にならねばという気になる。

自分に意識的になるということが、自分を大切にすることなのかも知れない。

調子の良い時だけでなく、駄目なときも自分の声に耳を澄まして言葉にすること。

それは人は向上心を持って前向きに過ごしてて、人として成長すべき、ということでもない。適度に力が抜けている。

自分がどういう人間であるのか、今の自分はどういう状態なのかと、問診をしているようでもある。そのなかで好不調の部分を把握して、健康であることを意識する療養的な日記になっている。

そういえば数年前からわたしがちまちま読んでいる本がメイ・サートン『回復まで』という日記だった。これもまさに近いものがある。


健康であるために意識すべきことは多々あるのだけど、病気の部分を治す医者的な治療と、健康な部分を意識して日常への復帰を目指す看護士的な視点ものがある。(中井英夫の本にあった)

わたしはつい医者的な視点で自分の病症にばかり気を取られてしまう。もっと看護士的な視点を取り入れて、今日は朝きちんと起きれたとか、食事や睡眠をしっかり取れたとか、健康的な自分にも目を向けなければいけない。

医者的な視点で問題を把握して改善点を掴んだあとは、精神を回復することに意識的になるべきなのだろう。

クヨクヨしていては問題も解決できない。精神が健康であってこそ、問題と向き合えるのだから。

そのために日記を書くのはいいのだろう。

クヨクヨはほどほどに(傷口をあまり触ってはいけない)健康的な部分を意識して、リハビリのように日々を健やかに過ごす練習をしたい。

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