【日記】“太陽との対話”と“アカデミー賞”と“Audible“の話【24/3.11-17】
▶「太陽との対話」という革命
僕のなかで、2024年のベストコンテンツが早くも決まってしまった感じがする。それは、映画、書籍、漫画、舞台、テレビ番組、展覧会と、どのジャンルをも含めてのベストなのだが、恐ろしいことにそのどのジャンルのコンテンツでもない。
僕が遭遇したのはなんだったのか。まさしく未知との遭遇。それは紛れもなく、これまでのあらゆるコンテンツとは違う次元に存在し、言うなれば新しい時代の幕開けであり、パラダイムシフトであり、そして革命である。その瞬間に立ち会えたことがまずなによりも幸せだ。
アピチャッポン・ウィーラセタクン
『太陽との対話』
それはまさしく映画という芸術を”体験”へと完全に昇華した初めての作品ではなかったか。そして同時に、VRという技術がツールとしての可能性にとどまらず、芸術としてコンテンツとしてまったく新しい世界を切り拓く原点にもなりうる傑作だった。
VRでなければいけない作品。「そうか、こうやって時代は変わるのか」と、とんでもない刺激と興奮に溢れる経験。
それはまさに、新しい芸術との”対話”だ。
本当にありがとう。
アピチャッポン・ウィーラセタクン。
▶︎アカデミー賞への憧憬
3/11。日本という国を決定的に変えた東日本大震災から13年が経ったこの日、日本映画における「復興」の兆しとも言うべき快挙の報せがあった。
『君たちはどう生きるか』『ゴジラ-1.0』の2作品がアカデミー賞を受賞した。長編アニメーション部門と視覚効果部門。とりわけ後者は日本史上初の受賞であり、長らくハリウッドの後塵を拝してきた国内のCGがようやく掴んだ悲願。まずは純粋に嬉しい結果を手放しに喜びたい。
そしてすごく印象的だったのが、受賞スピーチに際して、『ゴジラ-0.1』の山崎貴監督が用意してきた原稿を必死に読み上げている姿だった。映画を愛するすべての人の憧れの場所。山崎監督は受賞スピーチで「望むことすら想像しなかった」と述べたけれど、その表情には「いつかはあの場所に」と目を輝かせる少年時代の姿が乗り移るようだった。スピルバーグに憧れ、いつかは傑作を生みだすことを夢見て、ただ自分が愛する映画を信じ、踏ん張ってきたのだろうと伝わってきた。本当に胸が熱くなるシーンだ。
そして、今回受賞した二人の監督は、本当に獲るべくしてオスカーを手にしたんだなと思う言葉があった。受賞の記者会見にて鈴木敏夫プロデューサーが語った宮崎監督最初の言葉は、
だった。そして、山崎監督もまた、原爆開発者を描いた『オッペンハイマー』の7部門独占について、
と語った。そう、きっと二人は、日本映画史に残る快挙を果たしても、たぶんちょっと(あるいは強烈に)なぜか悔しいのだ。満足していない。それは誰かに対してか自分に対してか、あるいはその両方か。
二人はもう次の、あるいはもっと先の作品を(少なくとも頭の中では)つくり始めているに違いない。「つくりたくて仕方がない」という少年のようなまなざしが、自然と浮かぶ。『君たちはどう生きるか』『ゴジラ-1.0』を支えたのは、まさにそうした”夢を見る力””映画を愛する姿勢”ではなかったか。
▶Audibleすごい!
新たな発見だった。僕はずっと(自分の好みとして)書籍は紙媒体でしか読めないと思ってきたし、電子書籍に挑戦したときにはどうしてもマテリアルな質量を感じることができず、書かれた内容さえも軽やかに通り過ぎていく感覚があった。
であるならば、Audibleなんてもってのほかだ。そもそも、文章を書きたいと思っている立場からいうと、「どういう漢字を使うのか(あるいはあえて平仮名なのか)」「どこで句読点をうつのか」「いつ改行するのか」など、”書く”⇔”読む”という関係性こそが書籍や文章というものを成立していると考えている節もなくはない。
だが、Audibleにはしてやられた。「二か月無料」の宣伝文句につられて今週聴き始め、もうすでにあの持ち歩くことが困難なほど分厚い『同志少女よ、敵を撃て』を聴き終わり、次の書籍に手をつけている。いや、耳を傾けている。なんと簡単に、なんとスピーディーに、”物語”を味わえるんだろうと、ただただ感動し続けた一週間だった。
もちろん書籍のスタイルや内容によって向き不向きはあると思う。ただ、“物語”に浸かるという意味では、これもまた新しい芸術との“対話”ではないだろうか。