長野、蓼科と八ヶ岳。天も地もなく、一となる愛の源流
今日は先週の長野から帰り久しぶりに開いたインスタから。何気に目に留まった記事、というかご本人曰くメモ。同じころ長野の同じ界隈にいらした方のものだった。そこには、今回長野の地を訪れることができた不思議もだけれど、何かもっと真円なる繋がりはたらきが動いたような“トキの巡りあわせ “
縄文のつよいまちへ
以下 Instagram @99umika post/長年 ‘ 星を詠むひと’ のメモから
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長野 縄文DNAに導かれ
ムー大陸 ー愛と調和 ー海から隆起した土地にムーの人々を最初に住まわせた ー宇宙人 ーそれが日本の縄文人 ー信州・八ヶ岳辺り ー占星学協会の学びの場とした ー山なのに海という地名に疑問 ーそこは昔、海だったから海という地名がつくと知る ー調べたら偶然、新海誠の出身地だった(本名は新津なのに「海」に変えている) ー新海さんは縄文DNAがありそう(愛と調和、テレパシー能力) ー縄文人は天文学、12進法の知識があった ーシュメールに天文学の知識を持って行ったのは縄文人? ーシュメール語は日本でも読める ーやっぱり占星学発祥は日本? ー何年も占星術を教えていて薄々そう感じていた ー石を使ってテレポートして世界を移動? ームー大陸があった頃のように愛と調和の世界を意図的に作ろうとした縄文人 ー約1万年以上も平和に過ごした縄文人 ー分け合いの精神で循環する社会 ー自然環境の変化に合わせて自分たちの生活を変えていった柔軟性を縄文人に見習うという記事を見つける ー農耕はあえてやらなかった ー土地の奪い合いや自然に対応できなくなるから? ードングリや木の実を主食にする ー私たち現代人も環境が変わり始めていることに氣づき、安定的に続くと想定た社会システムを続ける方向性を本気で見直さなくてはならない ー八ヶ岳が星がキレイなのは、宇宙のコンタクトしていた場所?ーもういちど、ムー大陸の愛と調和のエネルギーを私たち日本人が結束して取り戻さなければならない ーそのために呼ばれた八ヶ岳? ー占星学協会の拠点は、愛と調和のムー大陸の土地だった?
思いつくままにメモっておきました。
芋づる式に潜在意識からゾロゾロ掘り起こされてくる。なにせ、IC冥王星に冥王星トラインですからね。20200916記
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日本人のルーツを紐解く 縄文時代と八ヶ岳
星をずっと詠んでいて、2〜3年前位から、2020年以降の皆さんの星配置がよくわからなくなっていて、漠然と思っていたことがあるのですが、2020年から日本人のルーツが解き明かされ、世の中が一変するのでは?という漠然した妄想があってでもどうやって?と、想像がつかなかったのですが、コロナで一気に世の中が変わり、日本人がコロナを収束させるキーマンだと妄想がまた生まれる。日本が変われば世界が変わる。謎解きの入り口に八ヶ岳に誘導された。
長野県は山に囲まれているのに「海」という地名と電車の名前。ここから、、芋づる式に次から次へと謎が解けていく。そもそも、私が八ヶ岳に降り立ったのも不思議だった。
ある本で、地球がボーンと滅亡したとき、ムー大陸もアトランティスも沈んでしまったですが、愛と調和のエネルギーに満ちたムーの人びとを異星人が数人救ったそうです。そして、地球が整ったころにムーの人を地球に戻し、宇宙の柱となる愛と調和のエネルギーを残すムー大陸を隆起させた。その海から隆起した場所が八ヶ岳周辺だとピンとくる。(これは私が思う真実です。)この辺りは、縄文土器が多く発掘され、海の底だったという証拠に貝殻も多く見つかるそうです。「縄文の星と祀り」の本には、安曇海人という人々が存在していて、海を拠点に活動をしていたそうで、祭壇も海に作っていたようです。八ヶ岳近辺は「海から隆起した土地」=「ムー大陸の流れ?」海という文字を入れている空海はその流れを汲む人物のようで、この土地出身の新海誠さんも本名を改名して「海」という文字を入れている(これは偶然かもしれないですが)。私の海香という名前も数分で決めた仕事名。私のホロスコープでは、「海」と関連する海王星が土星以外すべての天体とアスペクトをとるので、「海」という文字を入れたかったのですが。この星配置を見て、俗世にまみれることなく不思議で生きなさいと言われているように思った。
私の占星術の知識が入ると、縄文人の謎解きが広がる。占星術の発祥はシュメール文明だといわれていますが、海人(アマ)と言われた縄文人はテレポートして、今のイラクの辺りに行ったのでは?或いは、その頃交流があった異星人が天文学や高度な技術を伝えに行ったのでは?向こう側では、縄文人のことをアヌンナキと呼んでいるような気がします。アヌは海人(アマ)が訛ったのでは?(これも私の妄想です。)なぜなら、日本の国家「君が代」の歌詞は海人、安曇族のことだと誰かが書いてました。ぞろぞろ繋がっていきます。アヌンナキ(縄文人)がシュメールの人びとに占星学を教えて、それを受け継いだシュメール人が西洋に占星学を伝えたのでは?八ヶ岳の縄文人は、すでに天文学、数字、12進法を使っていたという話は、忽然と現れて高度な文明を独力で築いたと言われるシュメール文明の成り立ちとリンクします。おそらく縄文人はUFOに乗って帰ったのでは(笑)テレポートでしょうか?どうみても土偶は宇宙人?壁画も真実の様子を描いているとしたら?ですよね。縄文時代は宇宙とのコンタクトがあったようです。話は戻り、このシュメールの行方はシュメール問題と言われるくらい、痕跡もなく忽然と現れ消えているところも、縄文人(海人)である信憑性が高いですね。
本紹介/『信州の縄文時代が実はすごかったという本』『縄文の星と祀り』
占星術のルーツを知りたい人におすすめです。また、日本人のルーツが解き明かされそうです。気候変動の中で自然に合わせて人間の方が生活を変えていった柔軟性も、これからを生きるヒントにもなると思います。
この海人と言われる人たちは、宇宙の絶対的原理「愛と調和」で生きることを伝えているのでは?縄文時代のように、愛に満ちた集落がまた八ヶ岳からはじまる予感を感じながら、宇宙とコンタクトをとれる人材育成の場所として準備をはじめています。これも偶然にたまたま辿り着いた。海人に呼ばれたかな。20200917記
#占星学と言えばルミナさんも長野を以前拠点にされていたねmisuzuの補足
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海と天が繋がって 海人
海人(あま)が転じ、天(あま)、雨(あめ)となった。
「海人」の名前の由来から、「海人」は「天人」という意味になる。
新海誠さんの作品に雨のシーンが多い。彼が、描く雨の描写がとっても心地よくて好き。最近は豪雨が多くて、彼の作品「天気の子」にでてきた未来の東京の姿が現実となっていくのかもしれないと感じるほど。あの未来は、主人公が少年から成人したくらいの未来なので、数年後の未来。あの状態が進むもっと未来東京は。新海監督は、祈りで天気を変える少女と同じ世界をみることができる少年を登場させている。きっと私たちに強く伝えていることがあるように思う。例年にないような豪雨や台風、暑さといったなかで水の浄化が必要になってきたよう。海と疫病は同じ海王星という星が関与する。星から詠むと、海と疫病をとおして波動の浄化を促している。地球も頑張っている。そして涙も海王星の浄化という仕業です。
長野県の八ヶ岳で生活していた縄文人は、愛と調和のエネルギーをもったムー族の流れを汲む人びと(私の妄想)。その人びとのことを安曇海人と呼ぶ。海で活動をしていたから海人と言われていますが、海人(あま)=天(あま)と転じていることから、天人、つまり宇宙人のことを言っているのでは?宇宙から飛来したムー族の人びとが安曇海人なのかもしれない。ここの土地出身の新海監督は天気の子で、環境破壊が進む地球にいながら、祈りやイメージで別次元にシフトできることを伝えているように思う。最後のシーンで、「私たちは大丈夫」という言葉で締めくくっています。それは、晴れた心地好い天気をイメージすればその世界に入っていける。だから、地球が壊れていっても、今の3次元だけが生きる世界ではないことを教えているように思う。二人が空を飛び回るシーンで空に魚が泳いでいるように、海は天のこと。
だから、
私たちは大丈夫。
マヤ文明の人びとも、忽然と消えたのは、愛のエネルギーで次元シフトしたと言われる。それが現実になるのは近いのでは?新海さんの作品は、これからを生きる私たちへの愛のメッセージが込められているように思う。
私もどう生きていくのがいいのか模索中ですが、愛と調和のエネルギーで結束し合える人びとが増えて、地球の波動が軽く清らかになっていくことが、今一番大切なような気がします。20200918記
ここまでが、umikaさんpostから引用。細かいようですが転記してると若干、言葉じりなど違えて書いてる箇所あり。
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ひとりごと(後記)
ps:うちにいる黒猫の名は、“あま”と申します。といきなり、psからのひとりごと。
魅了され…約束どおり…のよう”縄文“を愛す人びとそんな人たちと出合ってきたこの数年、コアに自然により添い暮らし活かしあいながら生きる。また、縄文の時代背景や土偶に日本の本質的、宇宙の真理に歩み寄れたような喜びに熱心に語るひと
すべて縄文であり宇宙、宇宙である自然、その一部であるわたし達、真っ直ぐなつながりが存在し愛と調和の波動にみちた世界は、これまでの物質至上主義社会に偏った現代人ではあり得ないと思われがちな次元のことがなされるのはなんて事なくて。
縄文という話のなかで、どうしても思い出されるのは、二年前のメヒコの旅のなかでそれと同じ時空を全身全霊で感じ受けとっていたようにおもいます。
憧れ抱くかのように、わたし達の「縄文」のDNAに目醒めている
愛と調和
まさに今、カタチや分野は違えそこへ回帰…新たな姿で向かいはじめてるなあと思いますよね(同調圧か)
平成から新元号「令和」へ変わる。新元号は?と思ったときそれは、”やまと“でした。それしかない、その想いは”今こそ大和心を“というところでした。発表の瞬間、”令和”のうつくしい響きは大調和にひびきあいその由来に安堵と感動したのです。言霊のもつちからを正にはたらかせられますよう。
そして、つい先日こちらでもご紹介した某書籍もまた、そのことを発していた。とわたしはおもうの。
こちらです『スタンフォード式 生き抜く力』ダイヤモンド社出版
umikaさんも書かれていましたが、日本から日本人から世界ごと動かしていける (日本人の本質能力開花みたいなことそういう事を何処かしこと伝えられているのでは)
それって、じゃあ…こいう場合に、私は私たちはどうしたら?その方法は?と答えややり方までを教えて欲しいんだと求めるのでもなく。求めるならば、その求める先は、宇宙や守護してくれている存在だ。
わたし達は、分け与えることをする。わかち合うこと。どうしたらいいか分からなければ、意味が分からなくても、今のあなたが差し出せることで与えてゆくことを。今に始まったわけもなく、淡々とそうやっている人たちはいる。与えて与えてメグルこと
その発動源は、ここでもやっぱり 愛からなのかが問われる
日本人の精神ともいっている「おもいやりのこころ」利他のこころ。けれどそこをアメリカ(シリコンバレー)の地で浸透し強く発進されている現在。日本人の強くもつ特色であれ、その違いは”垣根なく“であるか否か。現代社会で難しいところ?だろうか。言ってしまえば、人類すべて、哺乳類すべて、または万物 (というと広がりすぎかもだけどそんな) に宿る深淵なる根源的なエネルギーだった、でしかないとわたしは感じる。日本人が特別なんではないだろう。
使い分けをするでもなく、常日頃の在り方。見返りは求めても、その見返りってものにも意識があって行きたい場所にちゃんと行く。たとえご都合よく操作できてものちにそれは返ってきて帳尻を合わせられるのかも知れない。時代は時代だけによりはっきりするものははっきりと…。
あとね「私たちは大丈夫」この地球と私たちのところ。書いておきたいものがある。すでになが〜くなったのでまた別記事にします。このことは何となくわたしがそう感じていたことを書くことの後押しをここでもらえた氣がしています。
つらつらといつの間にか書き進んだものの、まとまりはあるのだろうか。そんなことは他所に、印したかったことできたと思います。
一週間越しにやっと今ことばに落とせた。
umikaさんのメモ言葉を使わせていただき、長野の地 あの原生林の森 での言い表しえない体感覚と深い愛を
お読みくださりありがとうございます。ほんとまた、あの森に、信州に、行きたい。