職業選択の自由は不幸
今の日本では職業の自由が認められている。どんな職業に就くのも個人の自由だ。弁護士でもスポーツ選手などなりたくてもなれない職業は沢山あるが、誰かに止められたり、この職業にしなさいと言われることはない。
生まれによって将来の職業が決まってしまう時代があった。同じ家に生まれても長男か次男かで将来の立場が変わる時代があった。何かしたいことがあっても、興味があることがあっても、それが許されていなかった時代だ。それは不自由であったのだろうか。不幸であったのだろうか。
誤解を恐れずに言えば、大多数の人にとって、自由とされる現代の方が不自由であり、好きなことができて選択肢が無数にある現代の方が不幸なのである。
例えば家を買う際に1000個の候補を出されると選ぶのは苦痛であろう。比較しきれる量ではなく、適当に選んだ場合でも、もしかしたら他の家の方が良かったのではと後悔するものである。隣の芝は青い状態に陥ってしまう。1種類しか売っていなければ、あれこれ考えることはあっても思い悩み後悔することはないはずだ。
ここで、職業選択でも同じことが言える。選択肢が無い場合と無数にある場合。どちらが不幸であろうか。成長の過程でやりたいことが見つかった人にとっては選択肢が無数、つまり自由に選べる方が圧倒的にいいだろう。欲しい家が明確ではっきりしている場合だ。
だが、大多数の人はどんな家に住みたいかがわかっていない。漠然と綺麗で住みやすくて快適な家と考えているかもしれないが、それは給料が良くて楽で充実した仕事がしたいと言っているようなものだ。また、一度家を買ったら簡単には買い直せない。だから慎重に選ぶだろう。時期も考えて購入するはずだ。職業選択はどうだろう。大学卒業とともに選ばなければならない上に、どんな仕事かはっきりわからない。インターンなど広まってはいるが、やはり実務との差は大きいだろう。給料がよさそう、福利厚生が良さそう、ネームバリューがあるなどの理由で選ぶ学生が多いのはある意味仕方ない。選択肢が多すぎて選べないんだ。しかも期限が決められているので、わかる指標である意味適当に決めざるを得ないのである。
大多数の夢の無い学生にとって、職業選択の自由は不幸なのだ。
お前はこの仕事が向いているからこれをやれ!と言われた方が幸せであろう。やってみて合わないようであればさっさと転職すればよい。能力が足りないのであれば鍛える場を用意すれば良い。終身雇用は終わったのである。
サイコパスというアニメで職業適性によって人は仕事を選んでいた。10年前ほどのアニメだと思うが、そのときは近未来の話として描かれていた。しかし、AIによって職業適性が出され、それを元に就職する時代は近いうちにくるように感じている。
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