正しいという呪縛
私たちは学校で正解を当てるゲームをし続けてきた。与えられた問いに対し答えを出し、正解であれば褒められ、間違いであれば劣っているというレッテルを貼られる。それが社会に出ると途端に正解の無い問いを与えられるようになる。学校で優秀な人物が仕事で必ずしも優秀で無いのはそのためだ。
正解を出さなければいけないという呪縛は簡単には解けない。むしろ社会に出ると、答えが無い問いに対して正解を出すことが求められる。ロジカルシンキングで根拠を考え、データで裏付けし、自分の回答が正解であることを主張し続ける。
結局は私たちは生まれてから死ぬまで正しい答えを探し続けているのである。
正しくないといけない。誰かに指摘され、批判されたくないという思いを持っていると、自分を素直に表現するのが怖い。表現しないようにしていると、次第に表現できなくなってくる。誰かの顔色を見て、自分を作り、自分の気持ちにふたをしてしまう。次第に自分が誰か、何をしたいのか、何のために生きているのか分からなくなってきてしまう。幼い頃は自由に生きていたはずなのに、成長するにつれて世界は広がっていくはずなのに、息苦しくなってしまう。
自分を表現する
明日から自分を素直に表現しよう!と思ってもまず無理だろう。自分を素直に表現できる環境を作る必要がある。好きなことは誰が何と言おうと好き、嫌なものは嫌、詳しくはわからないがなんか良い。そんな気持ちを敢えて出す練習が必要である。私たちは自分の気持ちを素直に表現する練習が必要になってきてしまっているほど、正しさの呪縛を受けているのだ。
自分の気持ちに正解不正解はない。美術館に行って絵を見て、どう思うかをノートに書いてみてはいかがだろうか。公園に行ってベンチに座り、どう感じたかを自問してみてはいかがだろうか。難しいことは何も無い。論理など不要である。絵を描いてみるのも良いだろう。上手いかどうかなど関係ない。自分の思うままに筆を動かせば良いのだ。できたものを見て、どう感じるかをちょっと考えてみてもいい。その後捨ててもいいだろう。誰にも文句を言われる筋合いは無いのだ。
正しさを捨てる必要は無い。正解を追い求める場合も必要である。ただ、それとは別に、幸せになるためには、自分に素直に、自分の気持ちを素直に表現できることも大事なのだ。
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