海水に溶けたレッテル
空の写真は、逆さにすると宇宙から眺めた地球に見える。昨日、輪郭がくっきりとした海の水平線で、撮ったばかりの写真を眺めながらそんなことを考えた。
世紀の大発見では...?と思った。思ったので、その場ですぐに検索して、そして落胆した。すでに5年ほど前に、だれかが発見して話題になっている。
それでも、いまこの瞬間に発見した私にとっては、砂浜に埋もれるざらりとした貝殻をひらいたらまるで真珠がぽろぽろ出てきたような、世紀の大発見だ。
それでいいのかも、と、じんわり赤く染まる空を見ながら思った。
ていねいに、壊れないように積み上げても、ものごとは一瞬で崩れてしまうことがある。
言葉は悲しいくらい「誰が言ったか」で成す意味を変えるし、自分にとって都合の悪いことには、無意識に目を伏せ、耳を塞ごうとする。
年を重ねれば大人になれると思っていたのに、すっかり諦めの悪い子どものようにじたばたしたくなるし、自ら茨の道へ進んでみては、棘を正面から受けて自分の無力さに情けなくなる。
そのくせ固定観念だけはきっちりと生成されていて、あたためて柔らかく溶かしても、ざりざりに錆びついてしまっていて。
けれども、ひとたび視点をひっくり返すと、無差別に凝り固められているあらゆることが、違うかたちで見えてくる。
地位・権威・名誉。正しくて、頑丈で、完璧で、美しい。
そうじゃなくって、不正解でも不完全でも脆くてもいいから、もっと生身のものを大切にしたい。近道でも遠回りでも、「どうあるべきか」より「どう感じたか」の話を聞きたい。文章に残したい。
指先でふれればたちまち透けて消えてしまいそうな、明日にはもう忘れてしまいそうな、そういうものを見逃したくない。
思いがけず作れたひとり時間を縫うために海へきたのに、自分自身への歪な決意表明みたくなってしまったな。なんて考えていたら、しっとりとした海の風に乗って金木犀の香りがした。
本を持ってくればよかった、と心の底から思った。この場所で読めば、きっと忘れられない一冊になっていたと思う。
そろそろ帰ろうと腰をあげて砂を払ったあと、甘美な香りの在処を探したけれど、ものの見事に見つからなかった。それでいいのだと思う。
夕焼けを逆さにしたら、しっかりと地球に見えた。世紀の大発見かもしれない。
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