継続は力になるか分からないが力は要る。が力はもらえる。
今日はある地方自治体関連の仕事をしてきた。
住民たちとワイワイしながら集いの場を作るという仕事。
専門職として呼ばれて行くのだけども、僕は偉そうに何かを喋りたいわけでもない。
専門家がいないと成り立たない集いの場なんてのは、集いの場として機能していないと思っている。
そういう思いでもう何年かにわたって継続しているんだけども、たまに行くと「待ってたよ!」「ここにくるのが楽しいから続けてるよ!」「〇〇さんに元気なとこ見せたくて!」と声をかけてくれる。
そこに来るために元気でいようとしてくれている。そこに来ることで元気になれている。と言ってもらえる。
これほど嬉しいことはない。
自分が継続してきたことで自分自身が力をもらっている。
そして継続できるのは、こうやって力をもらっているから。
これは自分だけで出来ていることでもない。僕が出来るのはこんなのどうですか?という提案と、そこに少しばかりの専門的な知識を加えることくらい。
あとはワイワイしながらみんなと一緒につくってる。参加者から貰えるもともホントに多い。
継続してきたからこそ、また次にも発展しそうなことも出てきた。
継続してきたからこそ、僕はこの町が好きになっていっている。
予想外で嬉しいことだ。
僕は基本的には怠け癖があって、三日坊主。
継続することはほんとに苦労する。
noteを書くんだと宣言しても、気がつくとすぐサボってしまう。
継続するのには力が要る。
僕が集いの場の活動を続けてこられたのは、好きだからというのもあるけども、継続することで力をもらえて、それを継続する力に変えられてるんだろうなと思っている。
これはいい循環だな。
noteもすぐサボってしまう。
だからつべこべ言わずにとりあえずアプリを開いてみる。とりあえず書き出してみる。
はじめてnoteを書いてみると、何かしらの反応が得られて、すごく嬉しかった。
継続して書くのに力は使うが、書いていると、なんだかよくわからないけど楽しくなってくる。
反応があると力がもらえる。
反応が継続的にあるとより力になると確信している。
継続するのには力が要る。その割には継続がなにかの力になるかは分からない。けれども継続していれば力をもらえる。この力が継続の力になる。
これはいい循環。
これを「継続は力なり」と言えるのかもしれない。
そんなことを信じながら、途絶えないために、継続するために今日これを書いている。
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