22年3月11日「行き当たりばったりで得たモノ考えたモノ」
画像は、夜っぽい×仕事っぽい、ということで選びました。こんな高いビルで働いたことはありません。私には過剰な画像です。
けどいい写真だったので、選びました。
今日は夜
今日は夜に書く。というよりも、書きたいと思ったのが夜だった。
朝はなんだか起きれない。布団から出たくない。
家から出たのも18時くらい。完全に引きこもりだ。
お腹が減ったから、お昼に一度起きる。
YouTubeを見ながらご飯を食べる。
ご飯を食べたら眠くなる。夕方まで眠る。
こりゃあ、心配になるね。でもどうしたらいいんだろう。
起きてやりたいこともないんだよな。
今週月曜日に、やりたいことを手帳に書いた。
でも、あまり進んでいない。やりたいことというか、計画というか。
今週はこれをやるぞ!という内容。でも、あまり進んでいない。
「伸びたい」に触れたい
子どもと触れ合う。
子ども、というとあれだけど、
若い人の純粋な「伸びたい」というエネルギーに触れると、前向きになれる。
「伸びたい!」というエネルギーに負けないように、私も背筋が伸びる。「伸びたい!」というエネルギーを邪魔しないように、卑屈さが抜けていく。
子どもと触れ合うと、そういう感覚になる。
子どもと触れ合う仕事は、あまりお金にならない。でも、前向きな自分で入れる。前向きな自分でいたい。
子どもにかける言葉が、自分に跳ね返ってくる。自分に吸収されていく。「伸びたい!」に触れたい。
私の得意なこと(?)
私はなんか、子供に教えるのは案外得意らしい。
自分では分からないんだけど、他人にそう言われることが結構ある。
でももっとうまくなりたいから、あまり自分で得意だと思わないようにしている。
反面教師と救済
私が子どもに触れるとき、参考にしているのは自分の不満だ。
全部が反面教師だった。不満の多い子どもだった。
自分が子どものころ、どうしてほしかったか、だけが私の行動指針になっている。
こうされたかった。
もっと教えてほしかった。
悩んでいるときに話を聞いてほしかった。
味方でいてほしかった。
自分が子どもの頃に抱いた不満を解消するために、私は子供に触れている。過去の自分を救済するために、私は子供に触れている。
友達になれない、すごい子ども
だから、能力のある子どもや自立・自律している子どもを見ると、どうしていいかわからなくなる。
自分が手に負える子供ではない。
私が子どもの頃、こういう人とは友達に"なってもらえなかった"だろう。
でも、そういう子どもがいたら、とにかく話を聞くことにしている。
私が知っていること、感じていることなんて、その子はとうに飛び越えていく。
飛び越えていく存在に、私の小さな考えは不要だ。足を引っ張ってしまう。
だから、話を聞くだけ。あまり意見は言わない。といっても意見を言ってしまうときもあるんだけど、言わないようにする。
私のおかげで育ってほしいとは思わない。
(まあ、ちょっとは思うけど、実際そんなことはありえない)
私にはない大きな翼を、大きく自由に広げてほしい。
そう思って接することにしている。
自分を縛っていること
社会規範に縛られている。
働かないといけない。
しっかりしてないといけない。
社会人としてぴしっとしていないといけない。
お金を稼がないといけない。
社会に貢献しないといけない。
お金を稼げない仕事は、大した仕事じゃない。
ぴしっとしてない仕事は、大した仕事じゃない。
ちゃんとしていない。
誰かがそんなことを言っていたら、絶対違うと感じるのに、
たぶん自分の深層意識には、この考えがある。
他人を評価するときにこの考えは使わないようにしてるけど、自分を評価するときにこの考えを使っている。
そしてたぶん、そう思っている時点で、他人にもその物差しを振りかざしているときがあると思う。
占いとやりたくないこと
昨日、占いにいった。
占い師を一目見た瞬間、「なんか嫌だな」と思ってしまって、距離を取ってしまった。
聞きたいことも聞かず、なんとなく時間を過ごした。
お互いにとって申し訳ない時間だったと思う。
ただ、そのときに、
「やりたくないこと」から考えてみたらどうですか
と言われた。
正直、「ありきたりだなあ」と思った。
でも、そう感じてしまう、自分の卑屈さ、みたいなものに気づけた気がする。
話しを聞く人を選んでいる。
何を言うかより、誰が言うかで、物事を選んでいる。
先週もそんな出来事があったんだよな。
具体的な占いの結果よりも、今の自分の「歪み」に気づく一つの出来事になった気がする。
やりたくないことってなんだろう。
怒られたくない
萎縮する環境にいたくない
理由のわからない、~しなければいけない、みたいなことに従いたくない( 理由がほしい)
自分の考えをオープンにできない環境にいたくない
信用できない人に話を合わせたくない
信用できない人と関わりたくない
何かを強制されたくない。
評価におびえたくない。
思ったより出てこないな。こんな感じかな。
やりたくないことは2つ
まとめると、
萎縮する環境が嫌(怒られ、強制、評価)
信られないものが嫌(納得感がないこと、人への信頼、不明瞭な理由)
この2点だけか~。
なるほどなあ。次の職場は、これが満たされるかなあ。
もちろん、自分の姿勢で左右される、ってこともあるだろうけど、大きいのはこの2点なんだろう。
なんか、一定の結論に達してしまって、ここから掘り下げたいことがあまりないな。次にいこう。
いや、思い出した。
1つ目の職場「萎縮と焦り」
1個目の職場は、萎縮する環境に近かったな。
建設系の仕事をしていて、なんでこんな言い方を人にするんだろう、と思いながら仕事をすることが多かった。
あとは、何を聞いて良いかわからない、何を教えてもらえばいいかわからない状況で、どうしていいかわからない状況が続いたことに、困っていたなあ。
後者は、今の私ならもう少しうまくやれるような気もする。
それも、あの時の経験があったからなんだろうけど。
あの頃はすごく焦っていた。毎日のテンポが遅いことに、焦りを感じていた。
こんなんで良いのか、もっとペースを上げなきゃ、ペースを上げなきゃ。
10年やって一人前、って言われて、絶望した。10年もこの仕事をやろうと思ってない。
当時の自分の求めるものとは、合っていなかったのかもしれない。
そういう意味では、環境は悪くなかったのかもと思う。
環境は悪くなかったけど、私の求めるテンポに合わずに、不満を募らせていった。
今だったら、もう少しのんびり仕事をできていたのかもしれないなあ。
焦りもなくなった、ある意味割り切って仕事をしている。
むしろ、今の仕事は、先が無さすぎるという理由で辞めようと思ったから。
まあ、こうやって自分に気づいていくのかもしれないな。
期間限定で仕事をするならば、もっと高速で回る仕事、
1周の仕事が短いスパンで行われる仕事を選べばよかったなあ、と今では思う。
2つ目の職場「信頼・信用」
2個目の職場(現職)について。もう辞めるんだけど、これは、
信用できなくなってしまったこと
が大きい。
口は達者だけど、何も動いていない人。
人には要求するけど、自分の不備は謝れない人。
なんとなくのやってる感だけ好んで、その中身は何も深まっていかない人。
これで大丈夫なんですか?と、これってやばくないですか?と聞いた時に、否定する人。
まあ私の言い方も良くなかったんだろうけど、おかげで3年間いて、何か進んだ実感はない。
ある程度黙ってても売れる商品に出会い、広告にお金をかけ始めて売れ始めたのをきっかけに、会社の人がようやくやる気を出し始めた。
なんか、理念ないな、って思っちゃった。興味が一瞬で失せた。
まあ、商売だからそうだよね。とも思う。
一方で、最初に意気込んでた、口に出していた言葉が、どんどん崩れていくのも感じた。
ああ、信用できなくなってしまった。
こういう人たちが扱っている商品を、私は買いたくない、勧めたくない、と思ってしまった。
こういう疑問をぶつけたときに、「別に今は試用期間なので、採用するかどうかはわかりませんからね」と返されたのも、なんかもうあれだったな。
これが私が今の会社を信用できなくなった理由か。
仕事自体は楽だったけど、在籍期間のわりに、得られたものは少なかったなあ、と思う。早い段階で、私の心が萎えてしまった。
製品×サービス。優位性を作る。
これは現職で得た経験でもあるんだけど、
マーケティング → セールス → カスタマーサポート
という3段階があるとしたら、私は一番先にカスタマーサポートを充実させた方がいいと感じている。
マーケティング(認知を拡大・宣伝、見込み客を獲得すること)
セールス(営業に行くこと)
は華々しいけど
結局お客さんは、製品に満足し、その後の対応(サービス)に満足してくれる。というか、その満足を会社は提供しているんだと思う。
その満足が提供できない状況で、
「買ってくれませんか?いい製品ですよ?」と営業をかけることや、宣伝や販促物を作ること、露出を増やすことに、私はどうしても気が引けてしまう。
自分が信じられない商品を人に勧められない、というのは、ここにもつながってくるのかもしれない。
そりゃあ、良いように言えば、買う所までは持っていけるかもしれない。
押したり、値引きしたりすれば、良いかもしれない。
でも、そのあとお客さんは満足するのだろうか。そこが大事なんじゃないだろうか。
カスタマーサポートを充実…といったけど、書いていて、製品も非常に重要なんだろうと思った。
製品の向上とカスタマーサポートの向上。ここが一番最初にあった方がいい。
これがちゃんとしていたら、仮に数は少なくても、興味を持ってくれたお客さんが満足してくれる。
満足する理由が、「安い」以外の方がいいね。もちろん安いに越したことはないけども。安いと沢山売らないといけなくなっちゃうから、継続しにくい。
お客さんの満足≒競争優位性(になる?)
そう考えると、満足する理由ってどんなのがあるんだろうか。それはもしかしたら、競争における優位性になるのかもしれない。
競争における優位性にはどんなものがあるんだろう。調べてみたら、
VRIO分析
という物があるらしい
Value(経済価値)
Ririty(希少性)
Inimitability(模倣困難性)
Organization(組織)
ホーン…という感じだ。あんまりビジネス分野での優位性はわからないけど、これをお客さんの満足という観点から言い換えてみるか。
「経済価値」は、価格の優位性といえるだろうか。安く、質の良いものが手に入る。というのは経済価値になるだろう。製品の質と価格、ということだろうか。
「希少性」は、他にはない、ということだろう。他では得られない満足感があるということか。ニッチな製品だったり、独占的な製品は希少性が高いのだろう。
「模倣困難性」はなんだろう。これも、独占的な製品、ニッチな製品はこれに当たらないだろうか。模倣困難性は、お客さんの満足というよりも、対企業の視点で考えたときに、競合を生みにくいということだろうか。
「組織」は、サービスやブランドイメージかなあ。その組織から買いたい。と思えるかどうか。
組織=ブランドやサービスに対する信頼性になってくるだろう。
ブランドやサービスイメージ、ということにしておこう。
結局、満足はどこから得られる?
なんだか、私の勝手な物差しに無理やり当てはめた感じがするが、
お客様の満足≒企業の競争優位性、だと仮定して
それは結局は何から見て取れるかとしたら
製品の質
価格
独自性(その商品でしか満足しえないものがあるか)
ブランドイメージ
の4つだろうか。
製品の質は、もう率直にそれを高めていくしかない。開発をしつつ、お客さんからのフィードバックによって、高めていくことが大切だ。
その中で、価格をどのように設定していくか。安すぎてもだめらしいが、価格決めは重要だ。もし他社との差別化を計りたいのだとしたら、そこは比較して参考になるのかもしれない。
独自性については、いろいろだなあ。何で独自性を発揮するかは、一概には言えない。製品の質で唯一無二になるか、価格で唯一無二か、サービスやサポートで唯一無二か。うーんそうすると、サポートやサービスも満足度に影響するな。
ブランドイメージは、そこから後発的に作り上げられていくものだから、また別ものな感じがするなあ。
再考:結局、満足はどこから得られる?
ちょっと書き換えよう。お客さんの満足は、
製品
価格
サービス
の3つの質で得られる。
そのどこで突き抜けるか、が「独自性」になるし、そこから得られる満足が、「ブランドイメージ」を作り上げていく。
そういうことかなあ。
どこで突き抜けようか、どこで頑張ろうか、どこで頑張るのが勝てるのか、を考えるのがマーケティンングの1つの仕事なんだろうなあ。これはかなり上流の考えで、ここを考えるマーケティングはその製品に関する「戦略」を考えているのに等しいよなあ。
ああ、5000字近くも書いてしまった。
前半はなかなか書くことが思いつかなかったけど、なんか後半は書けてしまった。書いていたら、もう一度マーケティングの本を読み直したくなってきたなあ。新しい本ではなくても、簡単な本で良いので。
今日はここまで。
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