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匿名劇壇「レモンキャンディ」

※本記事は2017年5月28日に別媒体で掲載した内容を転載したものです。


匿名劇壇「レモンキャンディ」を観てきましたよという記事。

観て、ちょっと考えて、考えきれなかったような記事です。

本編中のことを書く部分もございますが、大まかな旨で書いておりますので、決して正確ではありません。

観劇済みの方向けです。全編ネタバレ・ご自身で観られたことを前提に書きましたので、ご承知おきください。

匿名劇壇は初見でしたので、キャストについての感想は省きました。

※軽口。2500字くらいです。


  1. 是非もなし

  2. 飛行船の乗組員

  3. 飛行船とレモンキャンディ



1. 是非もなし

 なんかしょうもなく泣きたくなるような作品。つまらないとかではなくて。

 匿名劇壇は「戸惑えよ」で知って、でも「戸惑えよ」は見逃して、今回「レモンキャンディ」でようやく機会を得た。

 匿名劇壇は初だったので、せっかくだしiakuの横山さんがアフタートークに出演される回を選んでいったんだけど、そういえばwalk in closetで福谷さんのお芝居を観ていた。当時はさらりと見たけど、あの空間で一番まともな人だなと思って好きな役だった。


 作品のテーマは? 題材は? と言われると、答えに窮する。もちろん場面設定やシナリオはあるんだけど、別にそれがメインではないから、答えに窮する。

 こまごまとした、たくさんの日常のもやもやが、あちこちに散らばってて、結果として丸く収まっているような感じ。レモンみたいにつるっとしていて、つかみどころが難しい。

「是非もなし」という言葉を選ぶべきかなと思っている。是非もない、とは、正しくは選択の余地がないことを指す言葉。ただし、本作においては、選択をしたところで結果が変わらない、選択をしても意味がないという感じ。

是非。是と、非で争っていても、そもそも是非がないので、着席。でもやっぱり非、いや、是。是非もない、死へのカウントダウンの中で、是非を論ずる人間の姿。


 死んでしまうことが確定してる、もはや死んじゃってる存在になりながら、無意味無意味と言いながら、それでもセックスしたり裁判したり、秩序を持ったりそれを崩したりしている時間というのは、人生そのものだ。落下していく飛行船をひとごとのように観てる場合じゃない。ぼんやり生きてる場合じゃない。

 残された短い時間で、何か意義あることをしようとしながら、でもその意味を考えてしまうと何もできなくなってしまって、というスパイラル、もう全然他人事じゃない。


2. 飛行船の乗組員

 演劇の観方には、神の目線から楽しいなあと観ているときと、感情移入しながら観ているときがあって、「レモンキャンディ」については、他人事じゃなく終わりのある時間に引きずり込まれてしまった。ところが、そのなかで誰かに感情移入しようとすると、えらくストレスを感じる。というのも、キャラクターそれぞれに共感出来る時と共感できない時があるので、誰かひとりに味方するのが難しいのだ。もちろんそれはどんな作品にも存在するキャラクターの二面性だけど、「レモンキャンディ」はその振れ幅がすごく大きい。

 個人的に好感をもてたのは砂嵐くん。砂嵐くんにももちろん恐ろしい一面はあるんだけど、物語の中で、自分で是と非を使い分けて律している所が好きだ。

 好きなシーンは、綿雪さんがしゃかいもんだいの新曲を披露してくれるところ。綿雪さんと砂嵐くんがやりとりする空間において、綿雪さんの歌や砂嵐くんの絵といった、ものの価値が正当に生きていて、秩序の保たれた空間に、観ていてとにかく安心したものだ。秩序を守ります、という双方の同意の上でのみ、相手に対する情とか、気持ちの問題で、そのひと(この場合、綿雪の歌)を適切に提供することが出来る。逆に、朝凪さんをめぐる男女関係の中では、それが曖昧だったために、わたしは見ていてもやもやとしたものを覚えたのではなかろうか。

 苦手なキャラクターというと、わたしは雨水さんがどうしてもだめだった。アレルギーか? ってぐらい彼女の言動一つ一つが飲み込みづらくて、刺々しい。役者さんの挙動ひとつひとつが、雨水さんの盲信さやところどころに見える思い込みの激しさのようなものに繋がり、観ていてつらかった。夜霧さんに共感しているところが多かったと書けば、なんとなくどんなふうに観ていたか、わかっていただけると思う。

 それから快晴くんについて。この話の一つの転換でもあるのだと思うけど、性的なシーンがとにかく無理。そんなシーンも俯瞰で楽しめればよかったんだけど、それほど達観していられなかった。そういう雰囲気にない時は一番まともそうなのに、一瞬出てくるあの尋常ならざる空気に嫌悪感があって、同じような理由で雷鳴くんもやや苦手。彼は比較的いい人だと思うんだけど。

 曇天さんについては、言動が粗野だったのでおっかないなと思ったけど、嫌悪感を感じたりはしなかった。彼が固執していた権利の話にも納得がいく。フィクション症候群については、面白いなと思っただけで済んでしまったので、自身の受け取り不足を感じた。とはいえ曇天さんがしきりに主張していた権利というものは、そもそも飛行船の墜落によって生きる権利がもろとも失われ、是非もなくなってしまったのが若干哀れでもあり、そんな状況下でレモンをかけるかどうか選択する権利を論ずる彼が愛おしくもある。


(5/29追記:曇天さんのフィクション症候群については、彼がこの作品においてメタ的な立ち位置にいることの表れだったのだろうか。「90分で何もできなかったわけだしな」という彼の姿が、舞台の上と客席とを一続きにし、私たちは是非もない閉鎖空間をともにすることになる。)


3. 飛行船とレモンキャンディ

 結局、あの飛行船はなんだったんだろう。

 「生まれ落ちる」前の子供のなかで、たくさんの人格が押し問答してるみたいにも見えるし、人生の終わりに向かってあれこれ考える脳内にも見える。それから、若干話が飛ぶんだけど、昨今話題のミサイルであったりとか。突然落下してくるらしいミサイルや開戦のことを考えてしまうと、「是非もない状況」というのは、決してありえない話じゃなくて、だれもがあの飛行船の乗組員になりうるもんだと思う。いやそれにしたって閉鎖空間で死を待つだけとか、現代技術でありえないだろなんていうのもわかるけど、100年も経たない昔に回天が泳いでた国の人は何にも言えないです。

 この物語のキーアイテムであるレモンキャンディは、この是非のない冷たい空間を、すこし温めてくれて、切ないようなあたたかいような気持ちになる。

 快晴くんが使った隠し味は、優しさゆえだったのか、それとも恐怖ゆえだったのか。各々、飛行船の中での体験について様々憶測しているところで、「夢だと思う」という彼の姿が忘れられない。

 是非もないところまで追い込まれた、世紀末的な空間。それはけっして夢でも非現実でもなくて、強いて言うなら舞台上の話だけでもないだろう。

 その恐ろしい世界に唯一打ち勝つのが、レモンキャンディという甘くて小さな良心であることに、この物語のわずかな優しさを感じるような思いだった。



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