惰性は個性
どうもうえだひろしです。
今日も惰性で生きております。
やらなきゃいけないことややりたいけど心体的カロリー消費が高いものになかなか手が出なかったりします。
ここで以前の僕なら「ホントダメだなあ」と自分を責めていましたが そういうのは良くないなと思い、「俺のこういうとこホント可愛いなあ」と思うようになりました。
惰性で生きている=可愛いということは今日も僕は可愛いということになります。今日も可愛いなあ。
しかし可愛いだけで生きれるのは若いうちだけと聞きます。それはマズい。このままだと僕は可愛いだけのやつになってしまいます。
しかしこの可愛さを手放すのはもったいない。というか治らない。活かす方で考えようと決めました。可愛さありきでやっていくしかないと。
どうしたら自分の体が動くのだろうかと考えた時に
ギリギリになったり「あ、今やり始めなきゃ絶対終わんねえ」という状況になったらやるんですよね。危険察知というかギリギリのラインを見つけてそれに間に合うようにやることはできるんです。
やらざるを得ない状況になったらやるんですよね。だってやらなきゃいけねえから。
そこで気づきました。
何かやらなきゃいけないことをやるときはその状況を自分で作れば良いのでは????と
めちゃくちゃ当たり前です。自己啓発本的なやつで再三見かけたあれです。
いや、自分で気付いてこその気づきでしょう。
「当たり前やんそんなんなめんな。俺はそんな当たり前のことを言われてやる人間じゃねえ。」と無意味にやり場のないパンクスを抱えていたあの頃からしたら大成長です。
結局のところ余裕があったり、今やらなくてもなんとかなるからやんないんですよね。先にやらざるを得ない状況に身を置くという荒療治をしないと動きません惰性人間は。
この方法を編み出してから割りかしパッと行動できるようになってます。やり始めたら楽しいんですけどやるまでがね。
性格はマジ治んないんで矯正するよか上手く付き合っていくしかないですね。自分の中で惰性が大きく場所をとってるのなら個性です。惰性は個性。
これマジなんでもできんじゃね?と思う反面、逆にやるかやらないか迷ってることは今やんなくてもいいんじゃね?ってなってます。今部屋の掃除やるか悩んでるけどやんなくても困んねえし良いかなあと思ってます。可愛いなあ。
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