【台湾 旅の記録】「日本に反旗」悲劇の舞台を訪問
台湾が親日国、というのはおおむね事実だと思う。
街の至るところで日本語の書かれた看板を見かけるし、「日式」と銘打ったレストランや商店も少なくない。日本語を学んだことのある台湾人にもよく出くわす。
博物館の展示でも1895年から50年間の日本統治時代、八田與一↓を始め多くの日本人が台湾の現代化に貢献したという評価をよく目にする。
だが、それだけではなかったことに留意しておく必要があるだろう。
そりゃあ言葉も文化も異なる外国人がやってきて、その言葉や文化を押し付けられたのである。2022年の年の瀬は、日本統治による負の歴史の1ページの舞台となった、霧社を訪れた。
【2022/12/31の旅日記】
霧社事件とは何か。資料によって書いてあることが違っていたり、あるいは記述が詳しすぎたりして、事件の全体像がつかみにくい、そんな歴史的事件である、というのが私の印象。
毎日新聞の記事はこう紹介している。
要するに統治者として乗り込んできた日本人に対し、その土地で何百年と暮らしてきた先住民たちが反旗を翻したという事件である。
事件の構図はかくもシンプル。だが、その凄惨さが群を抜いている。気になる方は「霧社事件 首狩り」などとGoogle一下(←台湾人の「ググる」)してみてください。
蜂起の中心人物となったモーナ・ルダオという人物。こう書くと日本側の視点では日本憎し一辺倒の人物にも思えるが、実は日本政府に招かれて日本視察に訪れたこともあった。
ビビアン・スーも出演している映画「セデック・バレ」では最後まで「日本に刃向かうと良いことがない」と若い世代を鎮めようとする存在として描かれている(本当かどうかは誰も知らない)。
事件が起きた1930年というと、私の祖父が生まれる前年である。つまり、つい最近である。そんな「最近」に起きた凄惨な事件に思いを馳せつつ、しかしあまりに平和なこの村を散歩する。
車窓からのどかな風景をながめつつ、埔里へと戻る。ほんと、わずか90年前、この山間に日本人の軍靴が響き、その日本兵を狙って原住民が弓矢を弾き、あたり一面血で染まったとは思えない、牧歌的な光景が広がっている。
*
歩いて歩いてホテルへと戻る。
年越しだったので、今回の留学生活で一人で泊まったホテルとしてはもっと高い部屋に泊まっている。だいたい3500元くらい。上層階に日本式の温泉&サウナがあったのもすごく良かったし、年越しの瞬間に窓からあちこちから打ち上がる花火が見えたのも良かった。
机に向かっての勉強時間は1時間17分。