宮城道雄と内田百閒
宮城道雄は内田百閒の琴の師匠である。
そして同時に友人でもあった。
宮城道雄は随筆も書いたが、百閒が文章についてアドバイスをしたりもしたらしい。
宮城道雄は1894年生まれ。
内田百閒は1889年生まれ、ということで百閒の方が5歳年上。
百閒が宮城道雄に入門したのが1920年、宮城道雄が死んだのが1956年だから36年のつきあいということになる。
1956年、宮城道雄は公演のため大阪に向かう寝台列車から転落して死亡した。
即死ではなく、落ちてから1時間以上経ってから発見され、病院に運ばれたが治療の甲斐なく亡くなったという。
転落のはっきりした原因はわかっておらず、自殺説も出たらしいが、前後の宮城道雄の言動などから見て、誤って転落した、という説が有力らしい。
宮城道雄の死について、内田百閒は「東海道刈谷駅」という随筆/小説を書いている。
刈谷駅は宮城道雄が転落した場所に近い駅である。
という、やや大仰な始まり方をするこの随筆で、宮城道雄が列車から転落する場面はこう書かれている。
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この「東海道刈谷駅」の中には、まだ若い頃、宮城道雄にいたずらをした思い出話が出て来る。
盲人相手になにやってんだ、という感じだが、そんな子供っぽいいたずらを盲人相手にする大の大人は他にいなかっただろうし、そんなところを宮城道雄は面白がったのかもしれない。
宮城に対するいたずらではないが、百閒の「長春香」という随筆の中に、宮城も関わった印象的なエピソードがある。
百閒が自宅でドイツ語を教えていた長野初という女性が、関東大震災で命を落とした。
「長春香」はその長野初について書かれた随筆である。
どこかで借りて来た大鍋を火にかけ、ビールや日本酒を飲みながら、みんなで持ち寄った食材をどんどん鍋に入れていき、なにがなんだかわからなくなった鍋をつついて食べる。
そのうちに酔いもまわってくる。
「長春香」は若くして亡くなった教え子を追悼する哀切な随筆なのだが、その中に故人の位牌を二つ折りにして闇鍋にぶち込む、というエピソードが出て来るところが百閒らしいところだ。
こうした、狂気すれすれの稚気を宮城道雄は気に入ったのだろうか。
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