雑記・関東大震災と安政の大地震について
岡本綺堂と寺田寅彦の二人が関東大震災について書いた文章の中で、それぞれが自分の母親から聞いた「安政の大地震」のことを書いていて、そうか江戸時代にそういう大きな地震があったんだな、と単純に思っていたのだが、今回あらためてその文章を読み直してみて勘違いしていたことに気が付いた。
岡本綺堂の言っている「安政の大地震」と、寺田寅彦の言っている「安政の大地震」とはどうも違う地震らしいのだ。
岡本綺堂の方はこう。
いっぽう寺田寅彦の方は
岡本綺堂(明治5年生まれ)は父親が徳川幕府の御家人で生粋の江戸っ子。
寺田寅彦(明治11年生まれ)の方は生まれは東京だが、父親は高知県の士族で、幼少期から高知で育ち、高等学校は熊本五高に入学し、そこで夏目漱石に出逢う。
調べてみると「安政の大地震」というのは「江戸時代後期の安政年間(1850年代)に、日本各地で連発した大地震である」(Wikipediaより)とある。
主なものとして、1854年に発生した安政東海地震、および安政南海地震。そして翌年1855年に発生した安政江戸地震の三つの地震があるのだという。
安政東海地震と安政南海地震はいわゆる南海トラフ地震というやつ。
岡本綺堂の母親が経験したのは1855年の安政江戸地震で、寺田寅彦の母親が言っているのはその前年の1854年の安政南海地震だろう。
恥ずかしながら幕末期にこれほど地震が頻発していたのは知らなかった。
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ただ単に幕末に地震が頻発していた、と言われても「ふーん、そうなんだ」という感じだけれども、岡本綺堂や寺田寅彦の文章を読むと、関東大震災を40~50代で迎えた人にとって、「安政の大地震」というのが、親から語り継がれるようなものとしてあったんだな、ということがわかる。
そういう形で、単なる年表上の出来事ではなく、パースペクティヴを持って見ることができるのは面白いな、と思う。
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ちなみに安政江戸地震では藤田東湖が死んでいる。
藤田東湖・・・1806年生まれ。水戸藩士。
「吉田松陰らに代表される尊王攘夷派の思想的な基盤を築いた」(Wikipediaより)人であり、「尊王攘夷」という言葉を初めて使った人とも言われている。
1855年の安政江戸地震の際は水戸の江戸屋敷にいて地震に遭遇、邸内に戻ろうとした母親を助けて、自分は落ちてきた梁に押しつぶされて圧死したという。生まれたのが1806年5月で死んだのが1855年11月、ということは、まだ50歳にもなっていなかったのか。
歴史上の偉い人が死んだ歳が今の自分より若いんだな、と思うことが多くなって、なんだか、はあ、ってなる・・・。
水戸の江戸屋敷跡の中に作られた庭園が今の小石川後楽園。
小石川後楽園の中に「藤田東湖先生護母致命之処」の碑がある。
小石川後楽園には2年ちょっと前に一度行ったことがあるが、この碑の写真は撮らなかった。
なので、代わりに小石川後楽園のそれ以外の所の写真を何枚か貼り付けておく。