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ぽつぽつと拾い読みしている本のこと(その5)「幻覚の脳科学」

いつも手に取りやすいところに置いておいて、出かける時とかにカバンに入れて行き、ぽつぽつと拾い読みしている文庫本の話、とりあえずの最後、5冊目。

「幻覚の脳科学 見てしまう人びと」(オリヴァー・サックス)ハヤカワ文庫NV

オリヴァー・サックスは1933年生まれの神経学者(2015年没)。
自分の診た患者に関する話を中心に、様々な症例を一般向けの医療エッセイとして数多く発表している。
自身の経験を書いた「レナードの朝」が映画化された際には彼自身の役をロビン・ウィリアムズが演じた。

この「幻覚の脳科学」は幻覚と言う切り口から様々な症例を解説した本。

幻覚は昔から、私たちの精神生活や文化に重要な役割を果たしてきた。実際、幻覚体験がどの程度まで芸術や民間伝承や宗教の誕生にかかわっているのか、考えずにいられない。(中略) ドストエフスキーが経験したような「恍惚感をともなう」癲癇発作が、神の概念の創出に一役買っているのでは? 体外離脱体験があるから、人は魂が肉体を離れられると感じるのでは? 幻覚に実体がないから、人は幽霊や魂を信じるのでは? なぜ、既知の文化はすべて幻覚を起こす薬物を見つけ出し、それを何よりもまず神聖な儀式に使ったのだろう?

「幻覚の脳科学」~はじめに~

この本を読むと確かに、霊的な体験とか超常現象とか臨死体験とか、あるいは宗教的な奇跡とかも、みな脳の見せる幻覚ということで説明できてしまうのだとわかる(その説明を受け入れるかどうかはその人次第だろうが)。

癲癇による幻覚を扱った章では、神の声を聞いたというジャンヌ・ダルクについても、側頭葉癲癇を患っていたことが示唆されている(もちろん証明のしようはない)。

この側頭葉癲癇の恍惚発作(と言うらしい)による強烈な宗教的体験というのがとても面白い。
例えば、料金を集めている時に恍惚発作を起こしたバスの車掌の話。

彼は突然、至福に包まれた。文字どおり天国にいるような思いだった。正しく料金を徴収しながら、同時に自分が天国にいてうれしいと乗客に話していた。……彼は二日間この高揚状態にあって、神と天使の声を聞いていた。声が消えてからも彼はこの経験を思い起こすことができ、その妥当性を信じ続けた。……その後の二年間、彼の人格に変化はなかった。おかしな考えを話すことはなかったが、依然として信心深かった。……三年後、三日間連続で発作を起こしたあと、彼は再び天に昇る経験をした。彼は自分の心が「きれいになった」と言っている。……この発作中に彼は信仰を失った。

彼はいまではもう天国と地獄も、来世も、キリストの神性も信じていない。この二度目の――無神論への――転向は、最初の改宗と同じ興奮と啓示的性質を帯びていた。

「幻覚の脳科学」~「聖なる」病~

恍惚発作の強烈な体験によって信仰を得る、というのはなんとなく想像できるけれども、二度目の発作で「無神論への転向」が起こった、というのが面白い。
強烈な、天の声を聞くような宗教的な体験をして「無神論」に転向するんだ、という・・・。
まあ自分に信仰が無いこともあってそもそも宗教のことはよくわからないのだが・・・。

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面白いところを挙げていけばきりがないのだがもうひとつ。

「(他の人には聞こえない)声が聞こえる」という症状についての章。
「声が聞こえる」というと統合失調症に結び付けられることが多いが、必ずしもそうとは限らない・・・というところから様々な「声が聞こえる」症例が紹介されるのだが、面白かったのは、幻聴の原因は心の中の発話を自分のものと認識できないことにある、という説についてのくだり。

しかし、逆のことを問うべきなのかもしれない――なぜ大半の人には声が聞こえないのか、と。
ジュリアン・ジェインズは1976年の話題作「神々の沈黙――意識の誕生と文明の興亡」のなかで、少し前まで、あらゆる人間に声が聞こえていたという仮説を立てた。自分の脳の右半球から発せられるのに、まるで外から聞こえているように(左半球によって)知覚され、神々からの直接的なメッセージとしてとらえられたというのだ。ジェインズによると、紀元前1000年ごろ、意識の誕生とともに声は内面化し、自分自身のものとして認識されるようになったという。

「幻覚の脳科学」~幻を聞く~

こんな面白い説もありますよ、と紹介しているだけではあるが、これはちょっとスゴい説。
頭の中で発話している声が自分のものだと認識できない、というのはなるほどそういうこともあるのかも、と思うけれども、あらゆる人間にその声が聞こえていた、となると、これはもうSFに近いような・・・。


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脳の働きに関する神経学的な研究は年々進んでいるだろうから、亡くなってから十年近く経っているオリヴァー・サックスの著作の内容は、そういう面ではかなり古くなっているだろう。
しかしそれがあまり欠点とは感じられず、今でも興味深く読めるのは、著者の興味が脳のメカニズム自体よりも、そういう症状に見舞われた人間の方にあるからなのだろう。

この本に限らずオリヴァー・サックスの本はどれも面白くて、この本のほかに、「妻を帽子とまちがえた男」「火星の人類学者」など、だいたいどれかを「いつも手に取りやすいところに置いている本」のラインナップの中に入れている。
基本的に症例を並列的に記していくスタイルなので、ぽつぽつと拾い読みするのにもちょうどいい。

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