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加藤哲夫先生の通夜

年代を代表して参列

 先日執り行われた加藤哲夫先生の通夜に行ってきた。斎場は決して広くなく、ゼミのOB・OGの参列は「各年代一人」までの規制が設けられた中、同期の理解もあり、ゼミ在籍中は幹事長等の役職は何もなかった自分が、足を運べることになった。

 この日は先生が大嫌いだった読売巨人軍の元オーナーでもあった「ナベツネ」こと渡辺恒雄氏が死去。因縁めいたものを感じつつ、生前の先生との思い出が鮮明に蘇ってきた。

 21年前の2003年の6月。報知新聞社の内定が決まった私は、ゼミの時間の中で、加藤先生にその旨を報告した。通常であれば、どんな企業に決まっても「おめでとう」「お疲れさま」と祝福と労いの言葉をかけられるものだが、私の場合は違った。

 「何?報知新聞?俺はな、巨人が大嫌いなんだ!お前の記事も読まないからな!」

 冗談にしては、あまりにも強い口調に感じ、圧倒された。巨人嫌いの理由は大学卒業後に聞き、ここでは割愛するが、スポーツ報知の紙面では、一度も自分の署名記事は読んでもらえなかったと思う。「喫茶店で報知・読売があっても、俺は絶対読まないからな」と何度も言われてきた。

巨人が負ければ上機嫌

 ただ、巨人に関しては大嫌いであって、関心がないわけではなかった。巨人が不調の時ほど、先生は饒舌で、上機嫌だった。
 
 「日本シリーズ4連敗だったな。ざまあみろってんだ!」
 「おい、13連敗じゃないか!巨人が負けると、食事も酒もうまい。お前の会社、大丈夫か?食べていけるのか?」

 OB会やゴルフコンペ等では、初対面の方々に対する私の自己紹介に割って入り「こいつは報知新聞なんだよ。俺の大嫌いなジャイアンツを生業にしてるんだ。みんなも報知は読むなよ」などと、弄られ放題だった。

 加藤先生のゼミは、法曹の世界に進むのが本筋だとしたら、ゼミ出身者として初めてスポーツ新聞社に就職した私は、明らかに“イロモノ”だっただろう。ただ、良くも悪くも色が付いていたから、OBの中でも目立つ存在ではあったのかもしれない。先生とのコミカルなやり取りは、私も楽しかったし、それによって周りに笑いが生まれることが嬉しかった。(つづく)

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