それは闇堕ちじゃない。ご乱心だ!
人間誰しも、闇の部分とか、病んでる自分とか、呼び方はなんでもいいのだけど、どん底でどろどろのヘドロみたいになってる自分を持っていると思うのだけど。
(持っていない、ぴっかぴかの太陽みたいな方はごめんなさい!笑)
そのどろどろヘドロこそが素の自分だと思い込んでいた時期が、かつて私にもありました。
そして、友達でも、恋愛でも、その他どんな人間関係でも、そんな状態の自分でも受け入れてくれる、そんな状態の自分こそ好きでいてくれる、そんな人を慕う傾向もありました。
そうすると、今度は、元気になってはいけないような気がしてくるんですよね。
この人は、どろどろヘドロの私に共鳴してくれて、もしくは、守ってあげたいと思ってくれて、今こうしてそばにいてくれてるんだから、私はヘドロのままじゃないと離れられてしまう。とか。
むしろ、もっともっとどろどろになれば、もっともっと愛をもらえるんじゃないか。とか。
そうして私はどんどんどろどろになるし、相手はそんな私が手に負えなくなるし、結果双方破滅です。笑
ずいぶん大人になるまで、そんな生き方だったんです。無意識に。
遡れば、子供の頃、私が体調を崩せばいつもお母さんがそばにいてくれたり、優しくしてもらえたり、そういう経験に味を占めていたんだと思います。
そして、不健康でいることでしか、愛される方法を知らなかったんだと思います。
そんな私に、ある日、ある方がぴしゃりと言ってくださいました。
「あんた、それは、ただのご乱心だから!」と。
ご乱心て!
ご乱心て!笑
痛いとこ突かれてるはずなのに、おもろくしっくりきちゃいまして、すんなり飲み込めました。
ご乱心の状態を素だと思うんじゃないと。
あんたの素はあんたがハッピーな時だよと。
そして、そのハッピーな状態で思うこと、感じること、一緒にいて楽しい人たちこそ、大切にしなさいと。
衝撃でしたね。
私が自分の素だと思い込み、恥じたり呪ったりしているつもりが、誇らしげにそこを愛せと見せびらかしていた部分を、ご乱心と呼び捨ててくれたことも。
そこを受け止めてくれることだけが愛ではない、ということも。
その方はこうも教えてくれました。
そのご乱心をいさめて、通常の自分に戻すのは、戻せるのは、自分だけだと。
そのために、落ち込んだ自分を励ますもの、場所、食べ物、人、たくさん集めておきなさいと。
それは、私が心理学を学びたいと思った原点でもあります。
この方は、心理学を学んで得た知識を、私にとってもっとわかりやすく、日常特化型で伝えてくれたのでした。
私がこのnoteでしたいことの一つも、そういうことなのかもしれません。
人間誰しも、どろどろヘドロ、もとい、ご乱心になることがあるものです。
ホルモンが大いに関係する女性なんかは特に。
そういう時に、うわ、私今ご乱心だわ、と気づけると、なんだか愉快に、前向きに対策が出来るかもしれません。
これも、学校で教えてくれたらいいのになぁ。笑