優しい人だと思ってたのは私の勝手。
「人は見たいものしか見ない」にも通ずるものがあると思うのだけど、
「優しい人だと思ってた」とか
「大人しい人だと思ってた」とか
「こうしてくれると思ってた」とか
「そんなこと言わないと思ってた」とか
なんでもそう。
全部、私がそう思いたいからそう思ってただけで、実際に相手がどんな人だったのか、どんなつもりだったのか、どんなつもりじゃなかったのか、そんなのわからないよね、という話です。
それなのに
「優しい人だと思ってたのに」
「信じてたのに」
「裏切られた!」
とか。
かつて私がピンチの時に、とても優しく良くしてくださった、とある業者の方がいました。
それ以来ずっとその方の印象は特別に良く、いつかご恩を返せたら、なんて思っていたのだけれど。
ある日再びピンチが訪れ、少し状況は違ったけれど、以前のようにその方に助けを求めると…
かつての親しさとは一変、あくまで業者と顧客であることを突き付けられるような淡白な答えが返ってきました。
私はとてもショックを受け、これまでその人をいい人だと思ってきた気持ちを裏切られたようで、悲しみと怒りがわいてきました。
でも。
そもそも、最初にとても良くしてもらったと思った時だって、きっとその方はあくまで顧客に対して普通のことをしただけで、それを私が「特別に良くしてくださった」「優しい方に巡り合った」と勝手に思っただけのこと。
当時いろんなことでいっぱいいっぱいで、優しさを求めていた私は、きっとそう思うことで救われたかったのだ。
その方自身はきっと、何も変わってない。
ふと、「優しい人だと思っていたのは、そう思いたかった私の勝手だったな」と、別に裏切られたわけでもなんでもなかったことに気づいた瞬間、その悲しみや怒りの熱はスッと冷めました。
人は見たいものしか見ない。
人は思いたいようにしか思わない。
だからこそ、勝手に決めつけないように、そして、決めつけたものを期待したり押し付けたりしないように気を付けています。
どう見るのも、どう思うのも、私の、あなたの、勝手。自由。
だからって、実際にそうかどうかはわからないから。誰にも。もしかしたら本人でさえも。
あらゆるものに対して、事実がどうかではなく、ただ単に「私はこう思いたいんだなぁ」と認識する。
そしてその癖がつくと、世の中や他人に実態なんてないんじゃないかという気さえしてきます。
だったら相手がどうかなんて、自分に都合のいいように好き勝手に脳内で決めちゃえばいいんじゃないの?
…最初と言っていることが逆になってきましたね。
両立させてみましょう。
他人のことを決めつけない。
でも、私の中でだけは決める。
肝心なのは、押し付けない。
期待しないということ。
…これはなかなか難しい話になってきましたね。
ここまで読んでくれている人はいるんでしょうか?
心配になってきました!笑
ずっとこの案件について言葉にしたかったのですが、まだ私の中でもうまく表現する方法が見つからないのかも。
こんな感じで、何年もかけて、いろんな経験からいろんな思いを引っ張ってきては、世の中の真理とか、人の心理とか、毎日あれこれ考えている私です。
趣味です。
たまにはいいよね、こんなごちゃごちゃなままでさらけ出すのも。
またいい例があったら書いてみますし、思い浮かんだ方はぜひとも教えてください!笑